これまでの延長線上で仕事ができるのは、沼本がもともとマーケティングのなかでも上流の「つなぐ」仕事を得意としてきたからだろう。
一般的にマーケティングは製品が定義された後、その製品に関してイベントや広告などの施策を行い、掘り起こした見込み客をセールスにバトンタッチしていく。1製品、1マーケティング、1営業の単線的なリニアな世界だ。一方、マイクロソフトは製品のポートフォリオが広く、同じ系統の製品を複数のチームが同時並行的に開発することも珍しくない。複数の開発チームがアウトプットしたものをつなぎ、どのようなパッケージにしてどのような経路でユーザーに届けるか。沼本のマーケティングチームは、その定義から関与していく。「私たちがやっているのは、エンジニアのアウトプットを市場につなぐ“Route to market”、つまり道しるべをつくる役割です。ネットワーク機器で言うとルーターのような存在です」
例えばPower Appsというノーコード・ローコード業務アプリ開発ツールがある。これはもともとDynamics 365というCRM製品のチームが開発したものだった。しかし、沼本はCRM製品の新ツールとしてではなく、Office 365などと連携させてパッケージ化し、「Power」という新ブランドで市場に届けることを決めた。製品ポートフォリオの枠を超えてマーケティングを自由にデザインしてきた沼本にとって、コマーシャルとコンシューマーの垣根を越えてマーケティング全体を統括するCMOの役割は、何ら特別なものではないのだ。
常に「次の一本」に集中する
今やマイクロソフトのマーケティング戦略を左右する存在となった沼本だが、もともとマーケティングとは縁遠い世界の住人だった。沼本は東京大学法学部から通産省に入った、いわば絵に描いたようなエリートだった。しかし、24歳のときに米スタンフォード大学に留学。テックビジネスで盛り上がるシリコンバレーの熱気に当てられて、「レールを外れてみたい」と1997年に退職を決断した。ただ、ここで有象無象のスタートアップを選ばないところが沼本らしい。「ビジネスを何も知らない自分がいちばん勉強できる会社はどこか。まずはエスタブリッシュされたプレイヤーのところでお作法を教えてもらいたかった」と、Windows 95のヒットで世界的企業になっていたマイクロソフト本社の門をたたいた。
エスタブリッシュメントといってもマイクロソフトはテック企業である。日本の役所とはカルチャーがまるで違う。沼本は自らの新しい船出について「大コウカイ時代。もちろん後悔のほう(笑)」とジョークで振り返った。