ラグジュアリーとマウンティング 程よい距離の取り方とは

安西さんのお話から思い出したのは、今月ロンドンのデザインミュージアムで見たイタリアデザインの巨匠、エンツォ・マーリの回顧展でした。この回顧展はもともと、マーリが亡くなった2020年にミラノの美術館トリエンナーレミラノで開催されたもので、デザイナーとしてのマーリだけではなく、アーティスト、教師、批評家、活動家、父/祖父といった多面的な角度で彼を紹介しています。

アーツ・アンド・クラフト運動やマルクス主義に影響を受けたマーリは、カレンダー、おもちゃ、椅子、花瓶など、どんなに普遍的なもののデザインにも、常に強い社会的メッセージを込めていました。そのプロセスが伺える膨大な資料が時系列にキュレーションされた展示は実に見事で、作品以上にマーリの人間性や興味関心の変遷を没入的に体験できるように構成されていました。特に美大生時代の作品群、子供ができたことから生まれた作品やその制作エピソードなどは、自分を重ねながら感慨深く観察していました。

形を追求し、新しい素材などに純粋に没頭していた様子が伺える初期の作品でしたが、展示の後半になると、彼の使命感や正義感といった社会的な一面が強く見え始めます。

マーリが「デザイナーは自分自身ではなく社会に奉仕するものである」と訴えていたことは有名ですが、デザインは物を購入した人だけではなく、物を作る人の経験や地位を高めることにも貢献するべきだとも考えていました。おそらくそのターニングポイントとなったのは、Autoprogettazioneではないでしょうか。

Autoprogettazioneは、「auto=セルフ」と「progettazione=デザイン」というマーリの造語ですが、このプロジェクトには「Do it yourself」とは少し違った意味合いが込められていました。荒板と釘のみで作ることができる19の家具の展開図と作り方を記した「説明書」の目的は、誰でも素敵な家具を作れるようになることではなく、作るという体験を通して、デザイン教育を受けていない人でも「良いデザイン」とは何かを語れるようになることでした。

しかし注目したいのは、Autoprogettazione自体ではなく、その発端となった彼の失敗エピソードです。

1970年、マーリは北欧とアメリカの家具デザインをイタリアに初めて紹介し、その後、使い心地とセンスあるオリジナルコレクションで定評を得たミラノの家具ブランド、De Padovaの創設者マッダレーナ・デ・パドヴァからソファを依頼されます。マーリは既存のモデルを見直し、簡単な操作でベッドとしても機能するようにしたDAY-NIGHTというモデルをデザインしました。

「イタリアン・デザインの貴婦人」と称されるほど、抜群の審美眼を持っていたデ・パドヴァ自身も「私個人としても買いたい」と絶賛したデザインでしたが、最終的には売れないと判断し、製造には至りませんでした。マーリは別のスポンサーを説得して、どうにか生産に漕ぎ着けますが、大赤字な上に、今度は小売側から売れないといって拒否されてしまいます。
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前半=安西洋之 後半=前澤知美

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