一般的には社長をやめても会長職に就く人が多いと思う。でも一郎氏は「自身が社長の座を譲った以上、組織で社長の上の立場となる会長には就きたくない」と、自身の好きな文字「商」と「空(色即是空や空海)」を組み合わせ、組織とは違う立場で商売を空から見届ける立場として「商空」という肩書をつくり、名乗った。また、今後経営に関与しないことを内外に示すため、香港に移住もした。
その後、コロナが起こり帰国。昨年(2023年)12月25日の会議で久しぶりにお会いした。山田社長が少し遅れており、僕と幹部の皆さんで集まっていた会議室をたまたま通りかかって、「こんにちは」と入室してきたのだ。そのとき商空が「息子に社長を譲って十数年になりますが、その間に売り上げがこんなに上がったんですよ」と僕に話し始めた。「社長を譲って直後、代理店が提案してきたCMプランを私はまったく理解できなかった。でも息子はこれでいくと決めてね。実際に大ヒットしたから、もう私の時代じゃないと思いましたね」
そんなふうに息子のことを誇らしげに語るのは初めてのことだった。そして1週間後の1月1日、商空は亡くなった。
社長の最大の仕事は「次の社長を誰にするかを決めること」だという。一郎氏のバトンの渡し方は実に見事だった。息子なら余計に言いたいこともあっただろう。でも、信頼し、自由にやらせた。商空という肩書までつくってそれを実行された山田一郎氏に、心から敬意を払います。
今月の一皿
「商空」初の商品「純露」を使用してつくった「鴨と旬菜のグリル、純露ソースビガラード」。
Blank
都内某所、50人限定の会員制ビストロ「blank」。筆者にとっては「緩いジェントルマンズクラブ」のような、気が置けない仲間と集まる秘密基地。
小山薫堂◎1964年、熊本県生まれ。京都芸術大学副学長。放送作家・脚本家として『世界遺産』『料理の鉄人』『おくりびと』などを手がける。熊本県や京都市など地方創生の企画にも携わり、2025年大阪・関西万博ではテーマ事業プロデューサーを務める。