言うまでもないことだが、アメリカンフットボールは非常に知的なスポーツであり、司令塔であるクォーターバック(QB)は、すさまじく頭脳を使うポジションだ。アーロン・ロジャースやペイトン・マニング、トム・ブレイディといった偉大な新旧QBが、彼らが到達したレベル、あるいは現在のレベルに至るまでの過程で、手っ取り早い方法を用いた、と本気で考える人はいないだろう。
彼らは近道などしなかった。なぜなら、「偉大な選手になること」自体が彼らの報酬だからだ。練習の過程で手を抜いていれば、試合に出たときに露見してしまうだろう。
有能な投資銀行家やヘッジファンドマネージャーと接していると、彼らもまた、「近道をしない人間」であることがわかる。そんなことをするわけがない。いや、できるわけがない。
彼らが成功したのは、卓越しているがゆえである。そして、自らのスキルを磨こうと絶え間なく望むことは、卓越さの表れである。誰も、彼らに無理強いする必要はない。彼らに対して、ビジネスをする理由、長期的なビジネスのために資金を調達する方法、あるいは、企業の株式を保有すると短期的・長期的に大きなリターンが生まれる理由を学ぶよう、強制する人などいない。この場合もまた、優秀であること自体が、彼らの報酬だ。手抜きをすることは、自分で自分を貶めることになる。
物書きにとって、文章を書く行為は喜びであり、学びへの道だ。それは読書にも当てはまる。物書きに対して、たくさん本を読めと強制する人はいない。物書きがたくさん読書するのは、自ら率先して学び、見識を広め、洞察を深めようとしているからだ。作家を目指す学生であれば、作家になりたいという情熱を大きくかきたてる行為を避けたりするはずがないだろう。
前に紹介したツーは、「圧倒的多数の学生」が、勉学で手を抜くためにAIを利用している、と嘆き悲しんでいるが、彼が見ていないことがある。それは、何らかの職業で成功しようという野心を抱く人は、学びのプロセスか訓練、あるいはその両方で「手を抜く」ことなど決してない、という事実だ。手を抜くことは、セイバンの言った「失望の苦しみ」に向けて、自分で自分を追い込むことにしかならない。
同じように、自動化や「アンラーン(思考をリセットさせる学習法)」によって、私たちが「不要な作業」を回避しているのは、私たちが「自己規律」に従っていないからではなく、「自己規律」に従っているからだ。人間以外で最大の資本と言えるものは時間だ。会計士は、計算機やスプレッドシートがなくても、きっと仕事はできるだろう。しかしそうしたところで、会計士として不利益を被るだけだ。
こうしたことを、ツーが懸念していた「AIが高等教育を破壊している」という意見に当てはめて考えてみよう。「圧倒的多数の学生」がAIを使って手を抜いているという、その自信に満ちた主張は、大学生たちのことというより、むしろ高等教育自体について多くを語っている。
AIが高等教育を破壊しているのではない。AIが幅広く利用されているのだとすれば、それは、「(本当の意味での)高等教育が自滅していること」を、より現実的に示しているのだ。
(forbes.com 原文)