経営・戦略

2024.04.12 13:30

世界的中華料理チェーンの成功の鍵はエンジニア的分析力と思考法だった

Forbes JAPAN編集部
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「とても気に入りました」

テリーの兄パット・ドナヒューはそう振り返る。隣の市にショッピングモールを建設中だった彼らは、そこでレストランを開かないかとチャン夫妻にもちかけた。ペギーに迷いはなかった。3人の娘の子育てとの両立が難しかったので、エンジニアとしてのフルタイムの仕事はすでに手放していた。チャン夫妻はリスクを覚悟で83年にはパンダエクスプレス1号店をオープン。パンダインで出していた料理をファストフード形式で提供したところ、店の外まで行列ができるほどの賑わいになった。

チャン夫妻は、80年代のモール建設の波に乗って、全国津々浦々にオープンするショッピング・センターに出店した。サプライチェーンはどんどん長くなったが、ひるまなかった。経営学修士号(MBA)取得者なら、そんなやり方はしなかっただろう。チャン夫妻が用いたのは修士号ではなく博士号取得者のアプローチだった。

80年代当時、大規模チェーン店では、電子化されたキャッシュ・レジスター、つまりPOS(販売時点管理)システム搭載レジがはやり始めていた。夫妻はそれを75年からパンダインで使っていた。IBMが初のデジタルPOSシステムを発表してまもなくペギーが独自にシステムをつくり、日々の売り上げの追跡やメニューの売れ行きの分析に使っていたのだ。個人経営の飲食店ではPOSの必要性はおろか、その内容を理解している店さえほとんどなかった時代である。

コンピュータの扱いに不慣れな店長がいると、ペギーが自ら指導に当たった。チェーン店の間で焼きそばを塩味にするかしょう油味にするか意見が分かれた場合など、パンダエクスプレス本社の会議室に料理人を集め、どのメニューについても単一のレシピに落ち着くまで徹底的に議論させた。

パンダエクスプレスは91年には18店舗まで増えていた。だが、フードコートの常連であるだけでは独自のブランドは確立できそうになかった。そこでふたりは、独立店舗の展開に乗り出した。現在では、モール内店舗は米国内の2400店のうちわずか156店で、総売り上げの5%を占めるに過ぎない。

22年のパンダエクスプレスの店舗当たりの売り上げは240万ドル近くに上り、米国の上位50のレストラン・チェーンで12位だった。同社はこの10年間に800もの新店舗を開き、売り上げは14年の22億ドルから50億ドル超に大きく伸びた。目標は、米国内で毎年約100店舗をオープンし続け、28年までに売り上げを100億ドルに倍増することだ。
中華チェーン「パンダエクスプレス」の共同創業者ペギー・チャン(左)と アンドリュー・チャン(右)|Lester Cohen / City of Hope / Getty Images

中華チェーン「パンダエクスプレス」の共同創業者ペギー・チャン(左)と アンドリュー・チャン(右)|Lester Cohen / City of Hope / Getty Images

現在、チャン夫妻は成長を求めて、ほかのチェーンのフランチャイズ店経営にも乗りだしている。

「大きなチャンスはまだあります。次の50年は、これまでの50年より成長する計画です」(チャン)


パンダエクスプレス◎1973年にアンドリュー・チャンが米国カリフォルニア州パサデナ市で始めた中華レストラン「パンダイン」をきっかけに、83年にオープンした中華ファストフードレストラン。ショッピングモールの出店ブームにのって全米展開。現在フードコート、空港ターミナル、ドライブスルーなどを含め、米国内店舗は2400店。

ペギー・チャン◎パンダエクスプレスの共同創業者兼共同CEO。1947年、ビルマ(現在のミャンマー)で生まれ。幼少期を中国・福建省と香港で過ごし、米国のベイカー大学に進学。ミズーリ大学で電気工学の博士号を取得。夫アンドリューとともに、パンダエクスプレスを創業。自ら手がけたPOSシステムでビジネスを成功に導いた。

文=チェイス・ピーターソン-ウィソーン 写真=イーサン・パインズ 翻訳=フォーブス ジャパン編集部 編集=森 裕子

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年4月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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