みかん問屋の4代目社長が立てた「売り上げ10億円」という“力試し”のような目標。それを達成できたのは、地域産業やみかん農家への責任感とグローバル戦略だった。
400年以上の歴史をもつみかんの名産地・和歌山県有田市で、明治中期にみかん問屋として創業した伊藤農園。現在はみかん30個を手搾りした100%ストレートジュースを筆頭に、みかん胡椒やみかんポン酢など26カテゴリ・96品目もの商品を展開。売上高20億円までの成長を牽引したのが4代目社長の伊藤彰浩だ。
みかんの生産と卸売りが主事業だった同社は、伊藤の父・修の代に大きな転機を迎える。1972年に全国的なみかんの過剰生産により価格が大暴落。生産者の利益が減少して農業経営を圧迫し、後継者不足や耕作放棄地といった問題も拡大していた。
地域の課題は伊藤農園の収益と直結する。当時は冬にしか収入が得られないうえ、市場価格が安定せず売り上げも不安定。どん底の状態で家業を引き継いだ修が目につけたのが規格外品だった。当時の買い取り価格はkgあたりたった2円。この規格外品を高く買い取ることで農家を支え、付加価値を付けて売ることで伊藤農園の経営を安定化できると考えたのだ。みかんの加工品メーカーへと事業転換し、最初につくった商品が現在の看板商品でもある1瓶1000円の高級ジュース「みかんしぼり」だった。
伊藤にとって、物心がついたときから家業は身近な存在だった。父がジュースづくりに試行錯誤する姿も小学生ながら横目で見ていた。大学を卒業し、東京の酒類の専門商社に就職したが、2年後の2006年に体を壊して入院することになった父から「そろそろ帰ってけえへんか」と声をかけられた。「いつかは継ぐんじゃないかとは思っていたし、会社で学んだ営業ノウハウを生かせばもっとジュースを売れるはずと家業に入ることを決意」した。