部長「おい君、早く総務秘書にダイヤルしてよ。えーと、A子ちゃんは?あー、お茶入れ当番かあ。じゃあB美ちゃん、これ、3部ゼロックスして」
部長席の脇に置かれた黒板には、白黒で今日の株価と出来高、再建価格が書かれている。部長はそれを満足そうに眺めて卓上の株式情報端末をたたき、「私の銘柄はどれも調子良い。これから私は宴席で出るから、君、A子ちゃんやB美ちゃんを連れてどこかで飲んでこいよ。領収書は私が処理する。みんなタクシーで帰れ。交通費請求でいいぜ」と破顔する。今ではどれもアウト、コンプラで大問題になる。
毎日が猛烈なハードワークだった。飲み会の後は会社に戻る。残務を処理すると午前零時近い。慌てて最終電車に飛び乗る。自宅に着くのは1時を回る。会社には7時半出勤だから、睡眠時間は4時間もない。当時、日本は世界経済の覇者ともてはやされていた。日経平均株価は1979年末の6569円から89年末には3万8915円へと6倍に跳ね上がっていた。激務と宴席や接待ゴルフで疲れ切っているはずなのに、毎朝5時半に目覚めると奇妙な高揚感に包まれたものだった。
こんな昭和末期と現在は何が異なるのだろうか。経済・金融面は数多の論考があるのでそちらに委ね、あまり取り上げられない違いをふたつ指摘しておこう。
まずは、人間の真理である。バブルに駆け上がる過程で、人々は「ひょっとしてバブルではないか」と問いかけるようになった。スーザン・ストレンジの『カジノ資本主義』が読まれ、チューリップ・バブルや南海泡沫会社が研究された。だが、次第に現状を所与と受け止め始め、Qレシオなど異常な資産価格を正当化する理屈がまかり通った。自宅のマンションの値段で、米国のゴルフ場が買えると確信した。そして、もはや誰もバブルとは思わなくなった直後にバブルははじけた。
この含意は、バブルの最中には大半の人々がバブルとは思わないという社会心理である。明らかにバブルを示す数字そのものが、逆にバブルではない証左として読まれてしまう。
昨今、資産価格の過熱感が取りざたされるが、まだ本格的なバブルではない。慎重なエコノミストが楽観論に組し、弱気のアナリストが大真面目に日経平均10万円を語り始めたときこそ、バブルである。