Quote from its operations in Chernobyl ‘In total, from May 3 to September 28, 1986, "Ladoga" passed more than 4,720 km, overcoming sections with a background of up to 1600 R/hour, entering the engine room of the Chernobyl NPP, performing reconnaissance of the area in the…
— AFV Recognition (@AFVRec_) August 26, 2023
ラドガは無線装置一式のほか、車体上部のマスト(支柱)にテレビカメラも搭載する。これらの装備によって、「終末の日」に指揮車両の役割を果たせるようになっていた。北大西洋条約機構(NATO)の核兵器が次々に降ってくるなか、ソ連の指導者たちがラドガの車内で腰を掛け、自国の核戦力部隊を指揮しながら、安全な場所に避難する様子を想像してみてもいい。
あるいは現在のロシア軍の大佐が、クレミンナ周辺のウクライナ軍部隊への攻撃中、ラドガの居心地のいい車内から自身の大隊を指揮している様子も。ラドガの小部隊はチョルノービリ原発周辺で出番があったが、核の黙示録への対応という主な役割は果たさずに済んだ。キーロフスキー工場の設計者たちも、まさかラドガが2024年になって通常戦で前線に投入されることになるとは、夢にも思っていなかっただろう。
彼らはまた、ロシアがよりにもよって、独立してNATOの支援を受けるウクライナと戦争をやり、わずか2年で装甲車両を1万5000両も失うなどという事態も、とても想像できなかったに違いない。
(forbes.com 原文)