「納期が迫っていたので、泊まり込みで接合を調整しました。技術は正直。うまくいかないのはどこかが間違っているからであり、それを認めてあの手この手で工夫すれば、いつか、ゴールにたどり着く」中国・北東アジア社の社長になったときも、パナソニック家電の勝ちパターンを否定することから始めた。「日本のヘッドクォーターは中国にも日本と同じ品質水準を求めました。しかし、中国から見るとそれは過剰。中国メーカーが世界の家電の約8割のシェアをもつ現状では、中国の感覚がグローバルスタンダード。中国の社員には、『私がシェルターになる。思い切ってやれ』と話しました」
一例をあげよう。医療機器である血圧計は、日本では薬機法の規制を受ける。中国・北東アジア社では、部品を流通量が多い標準品に変えてコストダウンを図ろうとした。その部品を使っても薬機法の要件は満たせるので問題ないはずだったが、日本側からは反対意見が。最終的には堂埜が押し切り、コストは3分の1になり、中国向けに販売された。
くらしアプライアンス社の復活は、社員が同じように自己否定できるかにかかっている。難しいチャレンジだが、堂埜は幸之助のエピソードを引き合いに出して自信を見せた。
「創業者は面接で『あんた、運はいいか』と質問して、『いい』と答えた人を優先して採用したとか。実は私、運がいいんです。異動したら、既に開発が進んでいた商品が売れて他社が追随したりしてね。今回の社長就任も、すごく運がいいなと」
低迷中の事業を引き継ぐことを、なぜ運がいいというのか。のみ込めずにいると、堂埜はニヤッと笑った。
「中国で戦い方を仕込んできたタイミングでの社長就任は、めぐり合わせが最高。それに、低迷していたら、あとは上がるだけですから!」
どうの・しげる◎1962年、大阪府生まれ。京都大学工学部卒業後、86年に松下電工入社。2012年パナソニックに転籍、13年にくらしアプライアンス社へ。15年常務、19年パナソニック執行役員、22年中国・北東アジア社社長、23年より現職。