どの国もそうだが、北朝鮮が談話を発表するときには意図がある。素直に読めば、「解決済みの拉致問題について議題にしないなら、会ってやってもいい」という意味に取れる。しかし、北朝鮮も、日本政府が拉致問題の解決に強い意欲を持っていることは十分理解している。
北朝鮮問題を長く担当した外務省の元幹部は「公表によって北朝鮮がどんな利益を得ようとしているのかを見極めることが重要だ」と語る。談話には、岸田首相が「あるルートを通じて」、首脳会談を申し込んだという記述がある。日本は国家安全保障局が日朝協議を担当しているとみられるが、北朝鮮はこのルートが気に入らないので、ぶち壊すつもりで発表したのかもしれない。ただ、それは協議の席で、日本側に直接通告すれば済む話だ。
北朝鮮は従来、敏感な外交交渉を行う場合、秘密保持を徹底してきた。2002年9月の日朝首脳会談の際には、外務省の田中均アジア太平洋局長(当時)と柳敬・国家安全保衛部(現国家保衛省)副部長が1年以上にわたり、秘密接触を重ねた。朝鮮中央通信が日朝接触を認めたことはなかったし、田中氏らも接触の内容を漏らすことはなかった。日朝関係は政治的に敏感な問題だ。関係者は当時、秘密主義について「公表すれば、各方面から様々な主張が噴出し、協議を進められなくなると懸念したからだ」と語っていた。この考え方に基づけば、金与正氏の談話には、岸田首相との会談を望まない底意があるのかもしれない。
岸田首相の支持率は2割程度を低迷している。北朝鮮は近年、日米韓などとの交渉を通じ、「相手のトップがOKしたから、すべてが実現するわけではない」ということを学んだ。北朝鮮側が、訪朝した関係者に尋ねる定番の質問に「今の日本の首相は長期政権になるのか」というものがある。北朝鮮はよほどの事情がない限り、「弱い政権」とは取引しない。仮に岸田首相と金正恩総書記の首脳会談が実現し、日朝合意が成立しても、岸田政権は早ければ、4月の衆院補選後にも崩壊するかもしれない。