食&酒

2024.04.11 11:45

「Blanc」佐藤伸一シェフは、なぜパリで戦い続けるのか

(写真中央)パリのフレンチ「Blanc」の店主 佐藤伸一氏

「正直、考えないといったらウソになります。オープンして間もない中で、皆、せいいっぱい頑張っています。それで二つ以上をとれなければ不条理である、という気持ちはあります。でも、それはそれ。星のみにこだわるつもりは全くありません。ただ、フランス料理を志すものとして、三ツ星は目標であり、同時に通過点だとも思っているのも事実です」
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これが、佐藤氏の正直な心持ちである。世界レベルにあるアスリートが金メダルをとりたいのと同じ気持ちであるのだろう。

2021年にすでに小林 圭氏が三ツ星に輝いたが、いま、パリには星を獲得するだけの高い評価を得る日本人の料理人がひしめいている。ひと昔、ふた昔前には、偉大なる先人たちが、血のにじむ思いで一ツ星を手にすることができた時代だった。20〜30年を経て、何がそれだけ変わったのか。

佐藤氏曰く、そのころ日本人の料理人は、どれだけ正確にフランス料理を再現できるかということだったという。ところが、この20年で、より日本人らしい表現が求められるようになった。その背景には、多くの国の料理がフランス人にとって身近になり、他を認めない保守的な舌が、少しずつ自由になっていったからという時代の流れもあるだろう。

また、「世界のベストレストラン50」、「ラ・リスト」などの、ミシュランとは別の軸によるリストがでてきたことも関係するであろう。
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「私が二ツ星をいただいた頃から、ちょうど、ミシュランの評価基準が変わってきたんですね。多くの日本人シェフが高く評価されているのは、今の時代においても、器用である、勤勉であるという、日本人の特性が重用されていることは変わりはないのですが、そのオリジナリティ、世界に冠たる独自性が評価されていることは間違いありません」

日本人という民族は、遣隋使の昔々から、海外で認められることで、付加価値を増すという逆輸入の国民性があった。日本人シェフが本場のパリで三ツ星をとるという、十数年前までは不可能と思われてきたことで、どれだけ多くの人間が勇気づけられ、誇らしいと思ってきことか。実際、料理人を目指す若者の新たな指標になってきたことは間違いがない。

「正直、パリの生活は楽ではないんですよ。雇用の税法なんて日本の比じゃない。私の経営手腕がないからかもしれませんが、これだけやっても何一つ蓄えとしては残らない。でも、料理人の裾野を広げ、次世代の目標になることができるなら、今はパリでできる限りのことを続けていきたいと思っています」と佐藤氏は力強く結んでくれた。

文=小松宏子

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