そして、SNSをきっかけに福岡在住でナーグプル出身のインド人Rさんと知り合う。Rさんは当然本場のサオジカレーを知っており、一家言あった。店に招き試食してもらうなど交流を深めるうちに、思わぬ方向に事態は動く。
隆志さんのサオジカレーへの熱量に共鳴したRさんのはからいで、現地ナーグプルへの渡航が決まったのだ。本場で一度は味を確かめたいと思っていた隆志さんにとって渡りに船だった。さらに地元のサオジ有名店やホテルレストランの厨房にも入らせてもらった。実際の調理の様子を見学し、現地のシェフと交流することができたのは大きな収穫だった。
ひょんなことから“Saoji”という未知のカレーを作り始めた隆志さんだったが、何かに導かれるようにことが運んだことで、ナーグプルという地やサオジという料理に運命的なものさえ感じたという。
現地ナーグプルで贈呈されたサオジアンバサダーの証
「日本では動画や本を頼りにレシピをつくっていましたが、ほとんど間違っていなかったことも現地に赴いたことで確認できました。それと同時に、これからは本場の味をきちんと日本でも広めていかなければという使命も感じています」
現地でも隆志さんのサオジカレーは認められ、日本で唯一の公認サオジアンバサダーにも任命されたという。
弟が働き続けられる職場に
隆志さんはミドリストアはカレー店である以上、美味しく魅力的なカレーを提供することは当たり前だと考えている。ただ、それとは別に大きな目標もある。それはひとつには、半身に麻痺がある弟の大樹さんが、これからも持続的に働いていける環境を整えていくことだ。
フェニックスチキンカレー開発者の弟竹島大樹さん
「すべての仕事をこなすことは難しくても、役割を細分化していけば、障がいがあっても働くことはできる。そのための枠組みやシステム作りをもっと進め、ミドリストアはそのモデルケースになっていきたいと考えています」
そして将来は、大樹さん以外にも障がいがある人に働いてもらえる場を提供できないか──。“サオジカレー”という未知のアイテムを手に、隆志さんは改めて考えている。