映画

2024.04.05 16:45

ベルリンで世界に注目「箱男」主演・永瀬正敏、石井岳龍監督が掴んだ手応え

「箱男」主演・永瀬正敏(右)と石井岳龍監督

「箱男」主演・永瀬正敏(右)と石井岳龍監督

2月に開かれた第74回ベルリン国際映画祭では、審査の対象となる枠には日本からの出品はなかったが、招待された作品の中で、一際注目を集めた作品がある。安倍公房原作で石井岳龍監督が手がけた「箱男」だ。ワールドブレミアで司会から「今回のベルリナーレの出展作品の中で、もっともクレイジーな作品」と称されるなど、話題を呼んだ。

遡ること27年前。日独の共同制作で映画化が決まり、脚本を準備し、クランクインするというまさに前日。ハンブルグで今作で主演を務める永瀬正敏さんと佐藤浩市さんらがホテルのロビーに揃い顔合わせをしていた時に、諸般の理由から制作中止の命を受け、一度はやむなく頓挫した。映像化の権利はその後、ハリウッドに渡ったのだが、そのプロジェクト権利を受け継いでいた安部公房の長女、安部ねりさん(2018年逝去)の強い反対により中断となった。

その後、再び同じ映像化の権利が石井監督のもとに返って来たのだ。奇しくも今年は安倍公房生誕100周年。新しい脚本に書き換えられ蘇った。曰くつきと言ったら大袈裟だが、同じドイツの地で世界三大映画祭の一つであるベルリン国際映画祭に招待され、無事初上映されたのだ。

ワールドプレミア後の舞台挨拶で主演の永瀬正敏さんはこの経緯について「なんともいえないストーリー」と語り、1973年の作品でありながら、今の社会問題を鋭く照射するようなテーマにまさに「機が熟した」と語っていた石井監督。二人に映画制作の背景と時代性を超えて親しまれている作品の凄みや、映画の見どころについて、ベルリン在住のライターがForbes JAPAN独占インタビューを試みた。




舞台は1973年、日本。段ボールを被り、路上生活する「箱男」なる存在が生まれる。そして50年後の現在、目の覗き窓から社会を覗き込み、「見られる存在」から匿名性を獲得し「見る存在」になったことに心酔する永瀬正敏演じる「わたし」とは一体どんな存在なのか。それを紐解こうとする浅野忠信扮する偽医者に、佐藤浩一扮する「軍医」。誰もが「箱男」という存在に飲み込まれ、立場と視点が交差していく物語だ。

難解といってもおかしくない安倍公房原作の純文学としての品位を保ちつつ、映画としての面白みに落とし込むことに成功した本作はどのように作られていったのだろうか──。

「存在証明の喪失、匿名性の果て」が抱える普遍性

──舞台挨拶で「時代性を帯びたテーマを扱っている」というお話をされていました。原作が1973年を舞台にしながら、時世と一致させるために、どのような工夫をされたのでしょうか?

石井:今の時代は一人一人が匿名性という檻、あるいは「自分が正しい」という幻想の世界に閉じこもっている時代だと認識しています。本当は「多様性」を受け入れていて、他者と共生しないといけない時代が訪れているにもかかわらず、むしろ分断が進んでしまった。

安部公房さんは他者を匿名から攻撃する時代が来ることを予見していたように、この問題は今始まったことではなくて。安部公房さんは「箱男」という作品を通じて、「存在証明​​の喪失」を描こうとしたと思います。あるいは「匿名性の果て」を考えておられたのではないか。それは時代そのものを超えて、僕ら都市で脳化した社会に生きる人間が陥っている病を描いてる。

1973年に発売された小説なんですけど、だからこそ今でも通用する普遍性を持っているのです。言うなれば、これからも通用する。なので日本という枠組みにとらわれずに、デフォルメした世界を表現しようとしました。

石井岳龍監督

石井岳龍監督

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取材・文= 冨手公嘉 写真 = 井口恵美

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