「(ウクライナ軍の)第53独立機械化旅団は、敵の第41(諸兵科連合)軍第55独立自動車化狙撃旅団の支援を受ける第1軍団第114独立自動車化狙撃旅団による攻撃を撃退した。第53旅団はトネニケで陣地を保持し、戦術面で形勢を改善した」
アウジーウカ方面作戦がいったん終わりに近づくなか、ロシア側に誇れることがあるとすれば、トネニケの南東の一角にどうにか侵入し、塹壕に入ったことだろう。ただし、これはトネニケに容赦のない爆撃を加えることで実現したことであり、その過程でロシア空軍は複数の軍用機を失った。
「(ロシア軍の)第1軍団第1独立自動車化狙撃旅団と第41(諸兵科連合)軍第35独立自動車化狙撃旅団がトネニケを南側から攻撃したが、成功しなかった」とCDSは指摘している。
5カ月にわたったアウジーウカ攻防戦は、こうして終わろうとしている。
この戦役はロシア側の勝利ではあったものの、それは損害があまりに大きく、得るものは少ない「ピュロスの勝利」だった。ロシア軍は廃墟と化したアウジーウカを占領した。引き換えに、少なくとも1万6000人にのぼる人員と750両以上の車両を失った。対するウクライナ側の損害は死者2000〜3000人、負傷者数千人、車両100両足らずだったとみられる。
第47旅団がベルディチ方面の接近戦で失ったM1やM2、アサルト・ブリーチャーは、ウクライナ側のアウジーウカ戦役での最後の損失だった可能性がある。第47旅団は保有する戦車の10%、歩兵戦闘車の5%、工兵車両の3分の1を失った計算になる。
第47旅団がアウジーウカ西方への撤退戦で損耗した車両を迅速に補充できない理由は1つしかない。それは、アウジーウカの守備隊が弾薬の枯渇で撤退に追い込まれたのと同じ理由である。ロシアに融和的な米共和党議員らが昨年10月以来、米国の対ウクライナ支援を妨害しているからだ。
米国の支援が途絶えても、第47旅団はなお旺盛な戦闘力を保持している。おそらく、たんにベルディチを保持する以上の戦闘力が残っているだろう。だが現在のウクライナ軍には、そこから東方へ大規模な攻勢をかけられるほどの人員や車両、弾薬はない。
(forbes.com 原文)