「カリヒというハワイの下町で長年営業してきた與平寿司には、親子から孫まで3世代で通うファンもいて、地元日系人の憩いの場という印象でした。私自身も2008年に弊社75周年の社員旅行で初めて同店を訪れて以来、まるで親戚の家にでもいるかのような居心地の良さと大将の寿司の味に惚れて、ハワイに来るたびに家族で訪れる店になりました。
この店の繁盛ぶりを見ていると、長い歴史を生きてきた日系移民と、それを受け入れてくれたハワイローカルの姿をすごく身近に感じました。この店がなくなったら、常連客だけでなく、ハワイにとって損失ではないか。そう直感したのです」
最初は後継者探しを頼まれたという松田氏。実際に後継者となる寿司職人を広島で見つけてきたが、ちょうど松田氏の会社も事業の多角化を推進しており、海外事業や飲食事業の実績も積んでいた。與平寿司という事業自体も継承するのは、自然な流れだったという。
「何より事業展開の場所が憧れのハワイですからね。このプロジェクトに選ばれた社員は喜んでいると思いますよ。実際、関わるスタッフは皆ワクワクしながら取り組んでいました。私が何よりも大切にしたのは、與平寿司を受け入れ、育て、愛していただいたすべての皆さまに、いま私たちにできる最高の恩返しをしたいという想いでした。それは関わるスタッフ全員にも徹底しました」
そのとき、松田氏の目に浮かんだのは、原爆で焼け野原になった広島の光景だった。松田氏の祖父や会社の社員なども多くの人たちが犠牲となった。戦後、「未来」という1点だけを見据えて復興に取り組んだ広島の歴史と、同じく「未来」に向け必死で生き抜いたハワイ日系移民に、共通するスピリットを感じたのだそうだ。
小原夫妻の寿司から生まれた、広島とハワイの絆を絶やしてはならない。そんな使命感も松田氏を後押ししたという。
富裕層が多いカハラ地区で新趣向での挑戦を
当初は、本店を閉じて、他の地区に移転する予定だったそうだが、カリヒの本店はしばらく存続したまま新店舗をつくることになった。そのときちょうど、ワイキキからも近い富裕層が多く住むカハラ地区に、新たなショッピングモールをつくる計画を聞いたのだという。それが現在「與平寿司カハラ」があるクオノ・マーケットプレイスだった。松田氏が続ける。「駐車スペースが豊富にある物件を探していたので、最適な場所でした。ただ、同じ店をつくっても仕方がない。本店の伝統はしっかりと残したまま、新たな挑戦をしようと決めました。カハラは富裕層が多く住む地区なのに、これまで高級寿司というジャンルの店がなかった。そこで、私たちがいまできる最高のお寿司屋をつくろうということになったのです」
しかし、店の工事に着手したのが、ちょうどコロナ禍に突入する頃。凝りに凝ったせいか、内装工事にはかなり時間がかかった。それだけに、地元の著名なインテリアデザイナーが手がけた内装は、これまでのハワイの寿司店にはないユニークでモダンなコンセプトとなっている。