日本経済が1989年から1990年の時期にたどった経緯は、改めて注目されている。1989年12月29日、日経平均の終値は3万8915円87銭の史上最高値をつけたが、これは、34年2カ月後の2024年2月22日、3万9098円68銭というさらなる高値がつくまで破られなかった。
1989年当時、日銀が公定歩合を引き上げた4日後に株価がピークに達し、その後1990年に入ると大幅に下落したのは偶然ではない。その後、1990年代の不良債権問題、金融危機、デフレを経て、近年の日銀は日本経済にダイナミズムを取り戻そうと取り組んできた。
1989年12月に始まり「バブル経済」を実質的に終わらせた日銀の金融引き締めサイクルの余波は、今でも東京市場に残っている。植田総裁が現在検討している施策を、日銀が直近で実行に移した(利上げに踏み切った)2006年と2007年には、日本は景気後退に転落している。ゆえに日銀のトップたちは、金利上昇が株式市場に大打撃を与えた場合に、自身があらゆる関係者から責められることを痛切に自覚しているのだ。
金融引き締めと、株式市場の活況の維持という、この2つの要素のバランスを取るのは、どうみても不可能に思える。だからと言って、ワシントンD.C.に居を構える、パウエル議長率いるFRBのチームが、米国のインフレの状況を読むのに苦労していないと言いたいわけではない。さらに、潘総裁が率いる中国人民銀行は、実に多様な課題に直面しており、そのどれをとっても、喜んで受け入れる中央銀行は皆無のはずだ。具体的には、大規模な不動産危機、デフレ圧力、そして「人民元高への誘導、維持」を掲げる中国共産党の強固な方針が含まれる。
それでも植田総裁は、不振を極める実体経済と、超楽観主義によって上昇する株式市場を抱える日本経済の分裂した状況に対処しなければならない。2024年は、日銀にとって手強い年になるだろう。
(forbes.com 原文)