「実験と、実験的な仕事は違う」と語る篠田に、広告会社において必要なデータサイエンティストとしての能力とは何かを聞いた。
広告の価値転換を「データ」から
近年、デバイスやインターネットはじめテクノロジーの加速度的な進展によって、生活者のメディア環境が大きく変化し、それに伴いアドバタイジングというビジネスそのものが大きく変容を迫られるようになった。従来、広告会社はテレビ局などから広告枠を仕入れてそこに広告を流すということを主な生業としてきたが、いまやデータやテクノロジーの力で枠自体の価値を変えることが求められているという。
そうした背景のもとで、博報堂DYグループの中で2022年に設立されたデータサイエンティストの精鋭集団が「AaaS Tech Lab」だ。そのリーダーを務める篠田裕之は、博報堂DYグループにおけるユニークな存在である。
「業務の大半はデータ分析ですし、データサイエンスコンペに頻繁に参加しています。その点、対外的にはわかりやすさから”データサイエンティスト”と名乗っておりますが、会社の名刺の肩書きだった”メディアビジネスプロデューサー”のほうがしっくりきます」という。
高知県民が好むカレーをAIで開発
データサイエンティストでありながらメディアビジネスプロデューサーであるとはどういうことなのか?その問いに対する答えの一つを、篠田が2020年に高知放送と企画したテレビ番組、「人工知能でつくりだせ!未知なるご当地カレー かまいたちのAIカレー研究所」に見出すことができる*1 。*1 AIカレーについて詳細はこちら
「高知県民のレシピサイトの閲覧傾向を分析して、それに基づいてAIでカレーを作ったら、プロの料理人の作るカレーより高知県民は美味しいと思うのか。そんな発想のもとに、高知放送の人たちとともにテレビ番組のコンテンツを企画・制作しました。
この業務は4年前のものですが、広告枠としての番組自体を、データを用いて開発した例といえます。この業務において、僕はデータサイエンティストとしてレシピサイトの分析およびAIによる新しいカレーの制作を行いました。
一方で、そもそもレシピサイトのデータ利用交渉や契約、番組とレシピサイトの相互送客の仕組み、データに基づいたキャスティング、視聴者にわかりやすく魅力的に分析内容を伝えるためのデータビジュアライズや自ら番組出演してのデータ分析の解説、それらも僕の業務に含まれます。データサイエンスはもとより、コンテンツを成立させるためのメディアビジネスプロデュースが肝だったように思います」
その他、SNSデータを用いた屋外広告グラフィックの制作、脳波を用いたヨガイベントや表情データを用いた観光施策、DMPと位置情報データを用いたデータビジュアライズなど、テレビ番組に限らずデータ・テクノロジーを活用した数々の事例を手がける。
自分自身を実験体とした技術活用の模索
他にも篠田のユニークなデータサイエンスへの取り組みは、枚挙に暇がない。過去には「満員電車で快適に過ごすための動き方」や「休日に会社の同僚と遭遇しないための街の歩き方」を物理シミュレーションで検証したこともある。
またあるときは、漫画のキャラクターの心情に同期することでより感情移入を促すために、漫画のキャラの表情と心拍数が一致しないと読み進むことができないデバイスも開発した。
さらに篠田は2017年からの3年間、仕事の合間をぬって四国にお遍路をする日々を送った。
歩きのみで1200kmにおよぶ行程を踏破する間、脳波計や心拍センサー、呼吸センサーなど様々なデバイスを用いて自分のログを取得し続けた。「自分が悟りに近づいているのかデータで解析してみようと思いました」。
この自らを実験体として得られたデータを用いて、「お遍路をして悟りに近づいていくことを目指すゲーム」を一人で開発中とのことだ。
こうした事例のいくつかは、篠田の著書『データサイエンスの無駄遣い。日常の些細な出来事を真面目に分析する』(翔泳社)に詳しい。
「私たちのチームには、『AIを使って何か面白いことできない?』といった問い合わせが日常的に寄せられます。
クライアントや社内からのそういう漠然とした要望が来てから、『じゃあなんかやってみましょうか』と、受け身で考えるのでは遅すぎる。新しいデバイスや技術が出てきたら触ってみるだけではなく、自分なりの使い方を模索しておくことが重要です」
漫画や演劇から広告へ
篠田のコンテンツの面白さは、大義に捉われすぎない日常の些細な悩みをユーモラスな視点と様々なテクノロジーを駆使して解決していくことにあるといえる。その根底にはコンテンツや表現を志してきた経験がある。「中学と高校は美術部に所属して、油絵と漫画ばかり描いていました。中学生の頃は本気で将来漫画家を目指していたんです」
先述の「漫画に強制的に感情移入するデバイス」を開発したときには、自らの手で『データサイエンティストたちの黙示録』という31ページの漫画を描き下ろした。篠田は進学した大阪大学で本格的にコンピュータサイエンスを学びながら演劇部にも所属した。
「僕は役者というより主に宣伝美術というフライヤーやサイトを制作するスタッフとして、学内だけではなくセミプロ含め様々な劇団に関わらせていただきました。
当時所属していた劇団は、今はTV業界はじめ様々なフィールドでご活躍されている素晴らしい先輩が多く所属していました。
彼らの、演技や宣伝美術、舞台全体のディレクション・演出は演劇未経験の僕にとって非常に刺激的でした。今自分が業務で行っているインタラクティブなデータビジュライズ、映像や展示など様々なコンテンツ制作をする際の良し悪しの判断基準に、演劇的な演出の影響が入っていることは少なからずあると思います」
「漫画家を目指していた中学時代から一貫してコンテンツを作ることに関心を抱いていました。僕が大学院生ぐらいのときからインタラクティブなインターネット広告が作られるようになり、学んでいたコンピュータサイエンスの知識が一番活かせそうな領域だな、と考えたんです」
新卒で篠田が博報堂DYメディアパートナーズに入社した2008年は、インターネット広告の先端技術、いわゆるアドテクノロジーが大きく進展した時期だった。
様々なターゲティング手法やタグマネジメント、DMPの発展に伴い、生活者の行動履歴やプロフィールを組み合わせて適切なセグメントを設計し広告配信することが可能になった。
それらビッグデータの解析に基づくメディアプランをクライアントに提案するために、篠田はデータ分析の技術を磨いた。
仕事と並行して「データサイエンスを無駄遣い」するユニークな取り組みを続ける篠田の存在は、やがて社内外に知られるようになり、テレビのバラエティ番組などからも出演依頼が届くようになった。
最先端のデータサイエンスのスキルと、中高時代から培われた「面白いコンテンツを作る情熱」を併せ持つ篠田が、AaaS Tech Labのリーダーに選ばれたのは必然だったと言える。
AaaS Tech Labの2つのチャレンジ
篠田が率いるAaaS Tech Labは、所属する11人の全員が精鋭のデータサイエンティストだ。彼らは毎週、勉強会を開き、日進月歩で進化する技術について全員が共有する。「Aaas Tech Labは、従来の広告ビジネスやメディア・コンテンツを革新するためにテクノロジーの可能性を探究するプロジェクトです。博報堂D Yグループの掲げる広告メディアビジネスの次世代型モデル”AaaS(Advertising as a Service)”の実現を目指し、2つのチャレンジをしています。
1つ目は先進的なアルゴリズムでテレビCMなどのメディア・コンテンツ効果を分析/予測し、新しいプランニングのためのソリューションを開発すること。2つ目はデータ・テクノロジーを駆使して新しいメディア・コンテンツそのものを開発することです」
彼らが新しい予測アルゴリズムを開発するときの取り組み方はユニークだ。
通常の開発ではチーム内でプロダクトごとにアサインされたメンバーが主に担当するが、AaaS Tech Labではチーム全員が取り組む。その際、データサイエンスコンペのような順位表、いわゆるLeaderBoard形式で精度を競うという。
「扱うデータやプロダクトは多岐に渡りかつ有機的に繋がります。役割分担が人数的にも機能的にも困難な中、この形式の開発スタイルは俗人化を防ぐ意味でも有用でした」
データに縛られない「ランダム性」が面白さを生み出す
AaaS Tech Labのチームメンバーは「AIを活用した広告効果予測」といったビジネスでクライアントに貢献しながら、各自が篠田のように「新しいコンテンツ」を生み出す取り組みを続ける。それはデータサイエンスの世界でも、「クリエイティブであること」が最大の価値を生み出すことを、チームの全員が確信しているからだ。
「なぜ僕らのチームは、視聴率の予測といったデータ分析や最適化・予測だけをするチームではなく、かといってテクノロジーを用いたコンテンツ開発をするだけのチームではないのか。僕らは研究開発的な側面があるものの、あくまで社会実装に重きをおきたいからです。
そうするとビジネス的な側面からクライアントの課題解決をする必要があります。その課題解決の手段は、時には面白いコンテンツをつくることかもしれないし、時には何かを最適化することかもしれない。テレビの視聴率を精緻に予測することが重要かもしれません。あるいはそれらの組み合わせであることもあり得ます。
実験と実験的な仕事は異なります。社会に価値を提供するためにデータ収集の仕組み・データ解析・データを用いたコンテンツ制作、それら全ての取り組みに対して弊社のデータサイエンティストはクリエイティビティを発揮するべきだと思います」
そう語る篠田は、「データにできることのスコープを意識し、データにできない想いを想像することが重要」と述べる。さらに、古代中国の「占い」がこれに通ずるのではと続けた。
「耕作地の方角などさまざまな重要な政策を決めるために、古代中国では亀の甲羅を焼いて入ったヒビに従っていたようなんですね。一見すると迷信のようですが、過去の稲の収穫データにもとづいて、収穫が多い同じ土地にばかり苗を植えたら、土地がやせ衰えて収穫量は年々低下していきます。つまり甲羅のヒビというランダム性に従って耕作することが、土地を回復させることにつながり長期的に見て理にかなっているのです。
この話は当時でも、もっと中長期的なデータがあればデータドリブンに耕作地を決められたのではということではなく、データにはその生成・取得プロセスに範囲や限界があるということです。そして重要なのはデータを超えたランダム性に当時の人々は神性を感じ、文化としてそれを信じていたことです。
データは重要ですがそれだけに縛られてはいけません。私たちのようなデータサイエンティストこそ今、亀の甲羅のヒビのように、AIにはない観点から社会を眺め、予想もつかない場所にジャンプしてみる勇気が求められているのだと思います」
AaaS Tech Labを起点としたデータサイエンスとクリエイティブの融合は、近い将来きっと私たちの誰もが想像したこともない世界を見せてくれることだろう。
博報堂テクノロジーズ AaaS Tech Lab
https://www.hakuhodody-media.co.jp/aaas/atl/
しのだ・ひろゆき◎ビッグデータ、データサイエンスを用いたマーケティング戦略立案、メディア・コンテンツ開発、ソリューション開発に従事。データを用いたTV番組企画立案・制作、レシピデータ分析に基づいた食品開発、GPS位置情報データを用いた観光マーケティングなどの事例多数。「飲み会の孤立」や「休日における会社の同僚との遭遇」など日常の悩みを機械学習やプロジェクションマッピング、3D物理シミュレーションなど様々なテクノロジーで解決していく実験を繰り返しており、ITmedia「データサイエンスな日常」連載、単著『データサイエンスの無駄遣い』(翔泳社, 2021)などにて発表。データ/テクノロジー活用に関するセミナー登壇、執筆寄稿多数。