金与正氏は2019年2月にハノイで行われた第2回米朝首脳会談が決裂した後、北朝鮮が重要な政策を発表する際に役割を果たしてきた。例えば、北朝鮮は年明けから、韓国を「主敵」と呼び、全面的に対決する姿勢を強調している。北朝鮮が経済難から生き残るために南北協力の道を選んだが、結果的に、韓流文化という「毒」が北朝鮮の「体」に回り始めた。北朝鮮は脅威を感じて焦り、韓国との絶縁措置を取った。ただ、北朝鮮は従来、国民に団結を強いる手段の一つとして、民族統一路線を掲げてきた。「今の苦しい生活も、将来の統一のためだから我慢しろ」という論法だった。この方針を変更するのは、北朝鮮当局としても相当な勇気が要っただろう。そこで、路線変更の「観測気球役」を務めたのが、金与正氏だった。
この動きについて振り返ると、まず、金与正氏が昨年7月11日の談話で「大韓民国」という言葉を使った。次いで、金正恩総書記が昨年8月27日の演説で「大韓民国」という言葉を使用した。今、振り返れば、これは今年に入って韓国と絶縁するための前段階の措置だった。ただ、いきなり、最高指導者の正恩氏が口にするのは危険が伴う。国内から「統一するんじゃなかったのか」という反発が起きれば、取り返しがつかない。そこで、まず、与正氏が「大韓民国」という言葉を使い、国内外の反応を見極めたのだろう。重大な路線変更であれば、北朝鮮の一般の政府・党官僚の発言では軽すぎる。正恩氏の実妹でロイヤルファミリーの一員である与正氏が適任だと、北朝鮮当局は判断していると思われる。
同じように、与正氏が日朝関係について方向性を示したのは、北朝鮮当局の今後の方針を予告したと考えるべきだ。「岸田首相への金正恩慰労メッセージ、本当の宛先はトランプ氏 」で書いた通り、北朝鮮は来年1月に、米国でトランプ政権が再登場することを前提にした、軍事・外交作業に没頭している。米国の複数の専門家は「トランプなら北朝鮮の核保有を認める可能性がある」と指摘している。北朝鮮が連日ミサイルを発射しているのは、交渉する時の「譲歩カード」を増やす狙いがある。日本に接近するのは、前回の米朝協議の際、当時の安倍晋三政権がトランプ政権に対して「安易な妥協をするな」と水面下で何度も迫ったことを再現させない狙いがある。