映画

2024.02.17 15:30

自爆テロに向かう2人の48時間 | パレスチナ問題を知る映画「パラダイス・ナウ」

田中友梨
また冒頭では、有名な殉教者アブ・アザームの娘で、フランス生まれ、モロッコ育ちのスーハが、街に帰ってくる場面も描かれる。至るところにある検問所と時折響く爆発音は、この街が常に不穏さに包まれていることを示す。そんな中、サイードとハーレドの日常は、抵抗組織の一員ジャマールの登場で、突然中断される。イスラエルへの報復作戦に2人が選ばれたことを告げに来たのだ。

極秘の告知を受けた後のふるまいは、主にサイード側から描かれる。自爆テロ要員に選ばれたと知っても表情ひとつ変えないサイードの中で、すでに覚悟は完了していることが見てとれる。母には「イスラエルでの労働許可が取れた」と嘘をつくが、幼い頃に”密告者”として処刑された父の汚名を晴らしたいという思いが彼の中にあることも、あとでわかってくる。知り合ったばかりのスーハには、感情を抑制しつつ自らの主張を言葉少なに述べている。

一方のハーレドはやや躁状態で、翌朝家を出る時もまるでバイトに行くような足取りだ。しかし同行者に語る言葉から、彼の父はかつてイスラエル兵から酷い目に遭ったことが窺われる。連れてこられた組織のアジトにおいて、自動小銃片手に”殉教者ビデオ”の撮影に張り切って臨むハーレドの姿にも、淡々としたサイードの表情にも、悲壮感はない。

誓いの言葉に続き、2人とも髪と髭を剃られ全身を清められ、コーランのテープが流れる中で最後の晩餐へと物事が静かに進行していくさまは、まさに”殉教”前の儀式然としている。

ちなみに、晩餐シーンは長テーブルの中央のサイードの両脇にハーレドを含めて計12人の組織の仲間たちが座るという図であり、明らかにレオナルド・ダ・ビンチの『最後の晩餐』を踏襲していると共に、ラストへの伏線ともなっている。

自爆テロへの使命感とリアリティの同居

一度装着すると自分では取り外すことのできない爆弾を胴体にぐるりと巻き付けられる場面で、見る者は進行している出来事の恐ろしさに改めて慄然とするだろう。

こうした一連の緊張したシーンの中にふと顔を出す日常が、彼らの生活の肌理を伝えてくる。

たとえば、何も知らないサイードの母は息子の友人ジャマールを手料理でもてなし、ジャマールは「こんなに美味しい料理は久しぶりです」と賞賛しつつパクつく。スーハは好意を抱いているサイードを「余暇は何してるの?」「映画は見る?」「好きな映画のジャンルは?」と質問攻めにする。サイードはアジトに出かける日の朝も庭の枇杷の収穫に励み、ハーレドは撮影中の”殉教者ビデオ”に、母親に言い忘れていた買い物の伝言を挟もうとする。カメラの不調で再三撮り直しになるところが妙におかしい。

自爆テロと一見無関係に思えるこうした生活のリアリティが、自爆テロに向かう当人たちの使命感と地続きであることが徐々に見えてくる演出は秀逸だ。使命感とリアリティの同居は、テルアビブに向かう車中での「死を恐れない者が天国を支配する」「先に決行した者の姿は見るんじゃない」というジャマールの言葉にも表れている。
次ページ > 「テロは相手に殺す理由を与えることになる」

ForbesBrandVoice

人気記事