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2024.02.06

サッカーアジア杯、優勝候補だった森保ジャパンはなぜ準々決勝で敗退したのか?

森保一監督(Photo by Noushad Thekkayil/NurPhoto via Getty Images)

後から振り返れば、アジアカップ準々決勝、日本代表対イラン戦は前半の半分までで、勝負はついていたのもかもしれない。

キックオフ直後から、イラン代表の選手たちは老獪だった。その象徴が20番をつけたサルダル・アズムンだ。アズムンはイタリアのセリエAの強豪チームASローマに所属するフォワードである。

まずは開始3分47秒、イランのモヘビからセンターサークル近くにいたアズムンにパスが通った。するとセンターバックの冨安健洋は身体を寄せて、ボールを蹴り出した。

この直後、冨安は顔をしかめてピッチに倒れ込んだ。アズムンがまず冨安の左足、その後に右足を踏みつけていたのだ。そしてピッチに転がる冨安に近寄り、大丈夫かという風な仕草をした。故意のファール、プロフェッショナルファールである。

続く5分55秒にも、アズムンはボールを持った守田英正の右膝を後から蹴り上げて倒している。試合序盤でイエローカードを出すことはないだろうという判断もあったはずだ。彼はその態度でお前たちのサッカーはやらせないよ、という宣戦布告していた。

サッカーは1980年代まで暴力の時代

サッカー選手にとって自らの身体は、最大の資産である。怪我をすればその価値は毀損される。現役でプレーできる時間はそう長くない。

悪意あるファールをしてくる相手に対してはどうしても腰が引ける。ブラジル代表やアルゼンチン代表など個人技の秀でたチームに対して、格下の国が仕掛ける典型的な嫌がらせである。

振り返れば、1980年代までのサッカーは暴力の時代だった。

古くはブラジル代表のペレ、あるいはアルゼンチン代表のディエゴ・アルマンド・ラドーナ、あるいはブラジル代表のジーコのようなボールが集まる「10番」に、対戦チームは激しく身体をぶつけ、足裏で踏みつけた。試合が終わったときにユニフォームが破れていたことも珍しくなかった。

かつてブラジル代表のキャプテンだったドゥンガに話を聞いたとき、ワールドカップ南米予選など勝負がかかった試合は日本では想像できないことが起きているのだと教えてくれた。

「ぼくの横にいた選手が突然、股間を強く握り潰そうとするんだ」
 
「急にだよ」と彼は苦笑いして頭を振った。

「ぼくたちの集中力を削ぐためだ。それだけでなく、針のようなものを持っていて、チクチク刺してくることある。奴らは審判に見つかりそうになるとぱっと芝に落とす。審判がわざわざ試合中に小さな針を探すことはないことが分かっているからね」
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文=田崎健太

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