コロナ禍に出版した『野性の経営』(KADOKAWA)は、話題を呼んだ。次々と新たな舶来のキーワードが広まる現代の経営において、今なぜ「野性」なのか。
2022年4月、野中は『野性の経営』という挑戦的なタイトルの経営書を出版した。副題は「極限のリーダーシップが未来を変える」。そこで、中心的に取り上げられたのは、世界的なエクセレントカンパニーのCEOではなく、タイの非営利財団の理事長クンチャイであった。
クンチャイは、世界最大のケシ栽培を担った麻薬地帯「ゴールデン・トライアングル」に住む人々を、アヘンに侵され苦しむ人々から、経済的に自立し自らの「生き方」を自律的に創造する人々に変えた。30年がかりで、上から目線ではなく彼らと共創し、一帯を観光客の呼べる地域へと再生した希代のリーダーである。「クンチャイのリーダーシップの本質は、人間本来の力である『野性』にある」と説く野中は、その野性に基づく経営こそ、今の時代に重要であるという。
「3つの過剰」が招いた失われた30年
では、なぜ今「野性の経営」なのか。その提唱の背景にある問題意識は、失われた30年に起きた日本の知的競争力の低下にある。戦後の高度経済成長期、電子立国として世界に名をとどろかせ、ジャパンアズナンバーワンの時代があった。スイスのIMD(国際経営開発研究所)の「世界競争力年鑑」によれば、日本は競争力において、1989年以降の約10年間はトップ10にランクイン。その後、下降トレンドが続き、23年には35位となった。こうした日本停滞の要因は何か。野中は「3つの過剰」にあると考える。
「オーバーアナリシス、オーバープランニング、オーバーコンプライアンス。要約すると、『分析のやりすぎ』に原因がある。多くの企業で一般化したPDCAの考え方にも、落とし穴がある。(同志社大学教授、一橋大学名誉教授で)社会学者の佐藤郁哉は、『PdCa』だと表現しているが、分析のPlanとCheckは大文字で過剰、実践のDoとActionは小文字で軽視、との指摘だが、その通りだ。我々がかつてやってきたことは、もっと野性的だった。『まず、やろうじゃないか』から始まっていたはず。しかし、今は身体ではなく、先に頭が来すぎていると思う」
制度、仕組み、プログラム。経営ツールが次々に導入される経営の現場で、管理されるのは、あくまで量に変換される性質のものだけ。質的なものは抜け落ちる。過度な可視化と定量管理を課された現場は失敗を恐れ、挑戦しなくなる。「数値経営に振り回され、日常が数学化しすぎているのは危機的状態だ」
「野性の復権」の本質
3つの過剰が常態化したマネジメントが、経営の活力を奪ってきた。「人間が本来もっている生き抜く力、創造性を劣化させてしまう」と考える野中は、この経営の課題をどう解くのだろうか。鍵は、人間観の転換にある。野中の知識創造理論の根底にある人間観は、フッサールらの現象学からヒントを得ている。
「知識創造というのは、知識とは何かから始まらなければいけない。さらに、人間の本質とは意味づけと価値づけを探求すること。重要なのは、意味が先にあり、その後に分析や数値化があること。意味づけと価値づけは、主観から生まれる。個人が身体で直接体験し、感じるもの、つまり本質直観である。本質は見えない。頭より身体で感じるのが人間だ」
野中の言う「身体と心の関係」を支持する科学的な研究も増えている。代表例は、他者の行為を見て、言語を媒介せず相手の意図を感じる脳内の神経細胞ミラーニューロンの発見や「身体感覚は意識よりも0.5秒早い」とするリベットの研究だ。