プロフェッショナルの「ささやかな修業」

筆者は、若き日に、民間企業で法人営業の仕事に携わっていたが、その時代、顧客とのホテルでの会合のとき、ささやかな修業を心がけていた。

それは、ホテルの玄関の車寄せで顧客を見送るとき、車が出発する際、ただお辞儀をして見送るのではなく、心の中で「貴重なお時間を頂き、有り難うございました」と唱え、その車がホテルの門を出て姿が見えなくなるまで、他のことは考えず、心を込めて見送るという修業であった。

この修業は、自身が上司となり、部下と共に顧客を見送るときも、部下への教育も兼ねて続けてきたが、歳月を重ね、自身が見送られる立場になると、今度は、自分の車が出発し、玄関から姿が見えなくなる頃合いに、窓から振り返り、会釈し、「有り難うございました」と唱える修業を続けてきた。

だが、残念なことに、ほとんどの場合、「誰もいない玄関」に向かって会釈をすることになる。たまに、振り返ったとき、まだ見送ってくれている人がいる場合もあるが、それは、大概、一流の経営者や人物である。

では、なぜ、筆者は、こうした修業の大切さを語るのか。それは、決して、マナーや礼儀作法のことを言っているのではない。

それは、こうした「ささやかな修業」が、一流のプロフェッショナルや経営者に向けて成長していくために、不可欠の能力を鍛えてくれるからである。それは、仕事の隅々にまで気を配ることのできる、「細やかな集中力」である。

実際、この見送りの修業をするのに使う時間は、わずか数十秒である。しかし、この数十秒の修業ができない「集中力の無さ」「堪え性の無さ」「横着さ」では、到底、一流のプロフェッショナルをめざすことはできない。また、経営者として、決して、大成することはできない。

逆に言えば、一流のプロフェッショナルや経営者は、分野を問わず、職業を問わず、例外なく、隅々にまで気を配ることのできる「細やかな集中力」を持っている。

では、なぜ、一流の世界をめざすために、そうした集中力が求められるのか。

冒頭と同様の「見送りの一瞬」を例に挙げ、その意味を語ろう。これも、やはり、筆者が営業に携わっていた時代の修業である。

お客様の会社を訪問して、企画提案をする。その商談は、それなりに良い雰囲気であったと思い、商談を終え、お客様の部長が、エレベータホールまで見送ってくれる場面。部長は、にこやかな表情で、「今後ともよろしく!」と言い、こちらは頭を下げて挨拶を返し、そのエレベータの扉が閉まる一瞬。

頭を上げた瞬間に、エレベータの扉の隙間から見えた、その部長の表情が、厳しい顔つきに変わっている。それを見て、先ほどまでの商談が、実は、お客様の満足するものになっていないことを感じ取る。そこで、すぐに、何が問題であったのか、この後のフォローをどうするのかに、思いを巡らせる。

こうしたことが、筆者の若き日の修業であった。

これは、小さなことのようだが、ときに商談の結果を大きく左右する場面。こうした場面でも問われるのが、商談の最後の一瞬まで気を抜かない「細やかな集中力」である。
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文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年3月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

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