TBS時代から、写実的でいきいきとした生命力を表現する高い画力が話題となり、退社後の2021年3月に開催した前回の原画展では、開催初日から 3 日ですべての作品が完売した。
1月16日からは、日本で3年ぶり2度目となる個展を開催中。「人はいつまで夢を見ていられるのだろう」をテーマに、異国でひとり生き抜くことの難しさや不安、新たな希望を込めた新作34点を発表している。
「やっと自分のことを画家と名乗っていいと思えるようになった」と語る彼女に、等身大の思いを語ってもらった。
息苦しさを感じ自分を見失っていたアナウンサー時代
——子どもの頃から、画家になりたいと思っていたのでしょうか?小学生のころから、動物園に行って動物の水彩画を描くのが好きでした。地元の富山県で開催されていた、「最優秀賞になったら給食の牛乳のパッケージに絵が載る」というコンクールにも毎年挑戦していました。ずっと優秀賞止まりで悔しかったのですが。
最近実家に帰って思い出したのですが、高校生の頃はクラスTシャツに絵を描きました。とにかく描くのが好きだったんです。ただ、絵はまったく習ったことがなくて、完全に趣味の領域。子どもの頃は、まさか自分が画家になるとは思っていませんでした。
——アナウンサーに挑戦しようと思った理由は?
小学生の頃にテレビで西尾由佳理さん(元日本テレビ、現フリーアナウンサー)を見て、「なんて素敵な女性なんだ」と憧れたことがきっかけです。就活直前になって「やっぱり表舞台は向いていないかも」と一度諦めたのですが、友人やゼミの先生の後押しもあって挑戦。個性を評価していただき、TBSに入社しました。
憧れだったアナウンサーになれたものの、研修が始まったころからすでに「“アナウンサー”の型にハマらなくてはいけない」という息苦しさを感じるようになりました。「私って何になりたかったんだっけ?」「私ってこんな人間だったっけ?」と心と頭が分離していく感覚がありました。
でも、「わからなくなってきたから(会社を)辞める」という選択肢は違うと思っていました。わからないうちはとりあえず目の前のものを一生懸命全力でやるしかないと。結果的に、その耐えた時間は無駄ではなかったと思っています。
会社を辞めるとき、会社や上司への不平不満を理由に、逃げるように次の会社を探す人が多いと思います。でも、1回“逃げ”に走るとずっと逃げ続けなくちゃいけない気がして。
私は今、自信を持って「アナウンサーの仕事をやりきった」と言えます。悩んだし鬱っぽくなった期間もあるし、アナウンサーには向いてなかったかもしれない。でも、逃げはしなかった。先がまだ見えないうちは今あるものに全力で1個ずつ向き合っていけば、いつかは道が拓けるんだ、ということを学びました。