「1週間前(11月15日)に株が上場来最高値をつけましてね。今日もそれに迫る勢い。あともう少しです」
残念ながらこの日の更新はなかったが、翌日(11月22日)には上場来高値を更新して4392円に。粟田の目尻は下がりっぱなしだったことは間違いない。
市場が高く評価するのもうなずける。24年3月期第2四半期の売上高累計は、丸亀製麺、国内その他、海外事業の全セグメントで最高に。通期予想も、営業利益66億5000万円を100億円に修正するなど軒並み上方修正した。業績好調の理由を粟田はこう明かす。
「災いを転じて福となす。コロナは本当に厳しかったけれど、みんなでもがいて乗り越えたことで次の時代が見えてきました」
例えば基準を下回った不採算店は、従来のように猶予期間を設けることなく即座に撤退を決めた。店頭での体験価値を重視するためテイクアウトをやっていなかったが、丸亀製麺でうどん弁当を発売。作り置きではなく注文を受けてからの調理にこだわったところヒットした。危機がトリドールの進化を促したのだ。苦境を奇貨として成長したのは今回が初めてではない。粟田は23歳のとき、兵庫県加古川市で焼き鳥居酒屋「トリドール三番館」を開店。
店名には「店を3つもてるようになりたい」という思いを込めた。最初は閑古鳥が鳴いた。しかし、東京で酎ハイブームが起きていることを知り、カクテルを出すなど女性客を呼び込んで人気店になった。
「調子に乗って店をたくさん出しました。でも、すぐおしゃれなイタリアンや創作和風居酒屋が出てきてボロ負け。売り上げが一気に下がった」
その後、ファミレスの居抜きに目をつけて家族向け焼き鳥店として復活。上昇気流に乗り、上場に向けて動き出したところで起きたのが、03年の鳥インフルエンザだった。
上場計画は白紙になったが、これが転機になった。実験的に1店舗だけ出店していた新業態の丸亀製麺に全リソースを投下したのだ。
「それまでは絶対的な強みをもたずにやっていたので、一時的に良くても後から競合がきて衰退していきました。丸亀製麺は、内装もサービスもない四国の製麺所に行列ができているのを見て、『お客様は商品じゃなく体験にお金を払っている』と気づいて始めた業態。店頭で製麺から見せる体験を売れば自分たちの強みをつくれると考えました」
狙いが当たり、丸亀製麺はフードコートを中心に出店を重ねて急成長。06年には念願の上場を果たした。3店舗どころか日本を代表する飲食チェーンを築き上げたが、粟田は「飽くなき成長」を信条として掲げ、拡大路線を続ける。
「商売は崇高な心理ゲーム。お客様のインサイトを貫いたときの快楽は何物にも代えがたい」