しかし、封鎖措置が終了し、人々が外の世界に出かけていくようになるにつれ、その輝きは色あせ始めた。同社は21年当時のわずか25%の評価額で株式公開しており、IPO株の価格は1株30ドルだった。ナスダックの初期データは、同社の株は公開価格を30%上回る価格で取引され始める可能性を示唆した。
「IPO初日の価格より、会社の長期的な価値を考えるほうがはるかに面白い」と、メタは下落したインスタカートの評価額について語る。
「21年ごろに株式公開した各社の今日の評価額を見ると、どこも私たちと同様にノーマライズ(例外的な事態の影響がなくなり通常時に戻ること)しています」
インスタカートの公開市場デビューは、業界各社が一斉に動き、テック系IPOの日照り状態に終止符を打つことになったこのころの流れの一端をなしている。ソフトバンク傘下の半導体設計企業、アーム・ホールディングスも、上場廃止から7年を経て23年9月半ばに再上場。株価は取引初日に25%急上昇した。マーケティング自動化プラットフォームのクラビヨも、同9月に株式公開している。しかし、インスタカートの成長は鈍化しており、今後はその失速を補うためにますます広告事業に力を入れることになる。広告事業が総収益25億ドルの29%を占めた昨年、同社は初めて黒字化した。23年上半期には、約14億9000万ドルの収益に対し、2億4200万ドルの純利益を計上している。
シリコンバレーの成功譚
インスタカートの誕生秘話は、今やスタートアップ界隈では広く知られるエピソードだ。伝えられるところによると、メタは、11年前に冷蔵庫を開けたらシラチャーチリソースの瓶が1本あるだけだったという経験からインスタカートを起業。共同創業者のマックス・マレンとブランドン・レオナルドは、その8カ月後に加わった。アプリを開発した後、メタはスタートアップのエリートインキュベータ(養成所)であるYコンビネータに応募しようとしたが、期限を2カ月過ぎてしまった。Yコンビネータのパートナーたちに必死でメールを送った結果、ようやくそのひとりだったゲイリー・タンから返事があったが、応募してみてもいいが合格する可能性はほぼないと言われた。それでもメタは願書を提出し、その後、インスタカートを使ってタンにビールを1箱送った。程なくして、メタはYコンビネータの12年春期に合格。その1年後には、Forbesの「30 UNDER 30」リストに登場した。インスタカートは、軌道に乗り始めるにつれ、シリーズAラウンドでセコイアから850万ドルを、シリーズBラウンドではアンドリーセン・ホロウィッツから4400万ドルを調達。その後の調達ラウンドには、コーチューやタイガー・グローバルなどの投資家が群がった。最大の投資家はセコイアで、15%の持ち分を保有している。