才能に甘んじることなく同質的社会のリアルを歌うELIONEがめざすもの

〈「才能」なんてものは、怠け者が生み出したまやかしだよ〉

これは、毎週、続きを楽しみにしている『ケンガンオメガ』という格闘技を題材にしたコミックに登場した言葉だ。

サンドロビッチ・ヤバ子作で、ウェブコミック配信サイト「裏サンデー」に連載されている「ケンガンオメガ」、登場人物の一人に「徳尾徳道」という異色の格闘家がいる。彼は太宰治に憧れて文学の世界を志すも「自らに宿ったのは『走れメロス』を生み出す文才ではなく、メロスの肉体であった」という過去を持つ。

その徳尾徳道が、かつて自らの文才に疑問を抱き、藁をもすがる思いで文学に生きることの相談をしたとき、大御所作家の寺本春六にから発せられたのが冒頭に記した言葉だ。

『ケンガンオメガ』を読んでいて、この言葉に触れたとき、私の心には刺さるものがあり、胸がざわついた。それは私が、徳尾徳道と同じく「自分には才能なんてないじゃないか?」という疑問を抱えていたからだ。

大御所作家である寺本春六の言葉で言い表されているように、生まれつき備わった才能だけで、何かの分野で超一流になれるほど世界は甘くはないのではないかと、最近つくづく感じる。

寺本は、冒頭の言葉の後に、こう続ける。

「1.正しい方角を知る、2.学習の深度、3.時間、私が重要だと考える三要素だ。これさえ実践すれば、どの道でも一流になれる」

「才能」というものが天から与えられた自らの初期のパラメーターであれば、それに一喜一憂するのではなく、自分が成し遂げたいものを描き、その目標との差を理解し、努力することこそ肝要であると、私はこの言葉を理解した。

そして、「ケンガンオメガ」のキャラクター・徳尾徳道と同様に、私自身もこの言葉に救われた気がした。

「才能」にいたずらに惑わされるのではなく、自らにとって為すべきことをする。「努力で一流に上り詰める」、字面以上にその実行には多くの苦難が伴う。「言うは易く、行うは難し」だ。

では、いったい誰がこの言葉に当てはまるのだろうと思いをめぐらすと、ELIONE(イーライワン)という1人のラッパーの存在に思い至った。
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文・写真=小田 駿一

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