ただ、客観的な情勢をみると、日朝関係が急激に進展する状況にはない。北朝鮮にとっての魅力は国交正常化に伴って日本から得られる巨額の経済支援だが、日本は正常化の条件に核・ミサイル問題や日本人拉致問題の解決などを挙げている。北朝鮮は昨年末の朝鮮労働党中央委員会総会で、改めて核戦力の強化を打ち出したばかりだ。朝鮮中央通信も5日、正恩氏が弾道ミサイルの移動発射台の生産工場を視察したと伝えた。
日朝関係を大きく動かす準備ができていないのに、なぜ、正恩氏は岸田首相に秋波を送ったのか。長く北朝鮮分析に携わった韓国政府元高官は、「秋の米大統領選でドナルド・トランプ氏が当選することを想定したうえでの勝負手の一つだろう」と語る。「北朝鮮はトランプ政権ができれば、一気に核保有国としての地位の獲得と制裁解除を狙って動き出す。そのための環境を今から作り始めている」
元高官によれば、北朝鮮の「トランプ当選に向けた勝負手」の第一弾が、韓国との関係再定義だった。金正恩氏は昨年末に開かれた党中央委員会総会で「北南関係はもはや同族関係、同質関係ではなく、敵対的な二国間関係、戦争中の交戦国関係として完全に固まった」と述べ、統一は不可能だとの考えを示した。元高官は「北朝鮮が大義名分にしてきた統一を捨て去ると言い出した以上、それによって得られる利益があるとみるべきだ」と指摘。「利益」とは、北朝鮮を巡る様々な問題で、韓国に口を出させない封じ手を手に入れることだと語る。
韓国は従来、日本や米国に「韓国こそが、朝鮮半島唯一の合法政府だ」という主張を展開し、朝鮮半島問題で主導権を握ろうとしてきた。例えば、北朝鮮との核を巡る交渉は「核廃棄」を目標とすべきで、事実上、北朝鮮の核保有を認めることにつながる「核軍縮」であってはならないと主張してきた。韓国は日本に対し、北朝鮮に自衛隊を派遣する場合は、韓国政府の承認が必要だと主張したこともある。韓国政府元高官は、「北朝鮮も従来、統一を目指す立場である以上、韓国のこうした主張を全く無視できなかった。今後は〈別の国だから〉という論法で、韓国を外して米国や日本と交渉を始めたい狙いがあるのだろう」と語る。