4年ぶりのロンドンは、日英文化交流を目的とする基金の理事会出席のためだった。理事会後のコーヒーブレークでは、昨今の世情についてフランクな会話が交わされる。英国側理事は、外交に、ビジネスに、学術に卓越した実績を誇る人物ばかり。彼らの見解は、現在の英国エリートの主流だろう。理事たちの問題提起は、Brexitの失敗に加え、高インフレ、移民問題、ウクライナ戦争等に及び、全員が異口同音に指摘したのがパレスチナ戦争であった。
二十数年前になるが、イスラエルの印象は強烈だった。死海から砂漠のなかを、北へ1時間ほどのアラブ人居住区を訪れたのだ。居住区が近づくと、ツアーガイドが慌てて車を降りた。車の側面に貼ってあるヘブライ語の社名ステッカーを外して、アラブ語に替える。「あれを見ろ」。緊張した面持ちのガイドは一本道のはるか先を目で指した。遠目にも戦車とわかる。私たちの車が近づくにつれて、砲身が上下する。生唾を飲み込みながら、低速で進む。やがてどこに隠れていたのか、小銃を構えた兵士が数人現れた。
ガイドとしばらく話すと、「15分だけ」と言って通過を許された。慌てて地元産品を陳列籠ごと購入すると、兵士は初めて「Thank you」と笑みをこぼした。「常在戦場」で過ごさざるをえない土地なのだ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の本山が背中合わせに建つエルサレムにも驚かされたが、日常生活で兵器などまず見ない日本とのあまりの違いには声も出ない。
ユダヤ教徒の生きるよすがは旧約聖書である。そこに記される出エジプトやバビロン捕囚、アッシリア、バビロニアなどの周辺強国の圧政、そしてローマによる支配と亡国の歴史ははるか古代の出来事だ。しかし旧約を肌身離さない彼らにとって、これらの悲劇は現状と重なる。
歴史背景があまりに異なる日本人には理解が難しい。彼らが敵視しているアラブの人々にとっても、この地域の歴史は領土と宗教を巡る悲劇と戦乱だった。一神教の三宗教のルーツが同じであることも、問題をより複雑にしている。