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2024.01.09

新浪剛史の体当たり組織論──辛い仕事ほど上がやらねばならない 

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サントリーホールディングスの社長であり、経済同友会の代表幹事も務める新浪剛史さん。まさに経済界のトップの1人です。慶應義塾大学経済学部在学中にスタンフォード大学に留学。三菱商事入社後に、ハーバード大学経営大学院でMBAを取得しています。
 
36歳のとき、給食事業会社の実質的な経営を任され、成功を収めます。4年で三菱商事に戻ると、外食事業室長に。2000年、三菱商事が出資を始めたローソンプロジェクトに加わりました。2003年には三菱商事を退職して、ローソンの社長に就任。2014年にサントリーホールディングスに転じています。
 
インタビューしたのは、ローソンの社長時代。一商社マンからの社長抜擢は、メディアで大きな話題となりました。新浪さんは、一躍、時の人になったのです。とはいえ、三菱商事からの出資を受けたローソンは、まだ再建半ばでした。

社長受けるの、やめときゃよかった

「思えば、ローソンの“表”しか見えていなかったんです」
 
表側を見ての新浪さんの結論は、はっきりしていました。業界のトップ企業を追いかけ、同じやり方をすることでした。自身も、給食事業会社経営での成功体験を持っていました。自分の思う通りにやれば、必ず結果は出せると考えたのです。
 
「だから、オレの言うとおりやればいい、を実践したんですよ」
 
ところが、思うように業績を伸ばせませんでした。まず気づいたのは、コンビニとしてのコンセプトが、業界のトップ企業とは違っていたことでした。
 
「地方の店舗比率が圧倒的に高かった。しかも、会社の上場時に株価を高めようと、店舗拡大をいい加減に進め過ぎていました」
 
売り上げの低い店舗が続出しており、加盟店は疲弊していたのです。さらに社員や組織はもっと疲弊していました。
 
実は、ローソンを最初に日本でチェーン展開したのは、かつては日本一の規模を誇りながら、経営不振に陥ったスーパーのダイエーでした。新しいことに積極的に挑むというダイエーのベンチャーイズムは、そのプラス面とマイナス面の両方が受け継がれていたのです。
 
「新しいことにチャレンジするDNAがあった反面、新しいことが次々に打ち出されても、放っておけば忘れられるという馬耳東風の空気だった」
 
新浪さんは、そうした組織を率いなければならなかったのです。入ってみてから、あらためて思い知らされた予想以上の実態でした。
 
「思いましたよ、社長受けるの、やめときゃよかったかなって(笑)。外食事業室長としてニューヨークやパリに飛んで、ワインを試飲したりしている頃が、なつかしく思い出されて」

大切なのは共鳴すること

そんなとき、“事件”が起こるのです。
 
社長就任から3カ月後、役員合宿が開かれました。ところが、モデレーターの誘導で、議論は新浪さんが予想もしなかった方向に進んでいきます。
 
「社長の僕に言いたいことがあるなら、言ったほうがいいという会になっていったんです」
 
すると、腹心中の腹心だと信頼していた役員から「社長の考えていることがわからない」「社長が意見しづらい雰囲気をつくっている」という思いもかけない言葉が出たといいます。
 
「毎日のように話し合っていた人間が、わからないと言うわけです。そりゃ、腹が立ちましたよ。覚えとけくらいに思っていましたよね(笑)」
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文=上阪徹

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