決済システムPayPalを創業し、現在は、先駆的なビッグデータ解析企業パランティアを率いて巨万の富を築くピーター・ティール。メディアに登場する彼の像は、ポジティブなものとネガティブなものとに二分される。一方にあるのは、天才的な起業家にして投資家、医療や教育のために多額の寄付をするフィランソロピストという、光り輝くティールの姿である。
他方で、彼は冷酷なヴィラン(悪役)でもある。民主党(リベラル政党)支持者が多いシリコンバレーにあって逆張りをする共和党(保守政党)支持者。個人年金制度を極限まで活用して5000億円以上蓄財した金の亡者。左派の政治運動を敵視して極右勢力に資金援助を行い、2016年のアメリカ大統領選挙ではドナルド・トランプを推薦した人物。この光と闇とに二分されたティールの像はいずれも正しい。一見矛盾している明と暗は彼の独特な哲学で統合されており、この哲学者としての側面がイーロン・マスクやマーク・ザッカーバーグなどのテック系ビリオネアのなかで、ティールを唯一無二の存在にしている。
「競争するのは負け犬」の思想的背景
ティールの哲学をかたちづくるのは、第一に個人の自由を至上のものとするリバタリアニズムである。その出発点にあるのは、全人類にとって豊かな未来を実現するイノベーション(技術革新)の重要性と、イノベーションのために、才能ある個人が自由である必要性だ。コンピュータが誕生し、ロケットが月に行った1960年代までのスピードに比べ、現在は技術革新が著しく停滞した時代だとティールは考えている。原子力開発、認知症やがんの治療など、人類が克服すべき課題に関する研究はここ四、五十年大きな進展がない。この停滞は単なる現状維持ではなく、私たちの生活基盤の劣化を伴っているが、私たちは停滞のなかにささやかな進歩を見いだして自足しようとするため、自分たちの足元が切り崩されていることに目をつむりがちだ。「『おばあちゃんがiPhoneを手に入れたんだから進歩している』と私たちは自分に言い聞かせる。けれど、その一方で食品の価格が高騰し、おばあちゃんはキャットフードを食べている」。ティールは私たちの現状をこのように痛烈に描写している。
ティールいわく、イノベーションがなければ、社会は限られたリソースの取り合い、いわゆるゼロサム・ゲームになり、過当競争のなかで大勢の敗北者が生まれる格差社会になる。これは望ましくない状態だと彼は考える。ティールの分析では、アメリカでは、経済が停滞し始めた1970年代にゼロサム・ゲームの傾向が強くなった。
過度な競争とゼロサム的状況を回避すべきだとするティールの哲学は、彼の大学時代の師、ルネ・ジラールの教えに基づいている。ティールは、スタンフォード大学の学部時代に哲学を専攻し、フランス人哲学者・歴史家であるジラールに師事した。ティールは今も自分が最も影響を受けた本として、ジラールの晩年の著作『世の初めから隠されていること』を挙げ、自らの財団にはジラール研究専属の部署を設けている。ジラールは、古代の神話や聖書から近代文学に至る膨大なテキストを分析し、人間は他者を模倣する傾向をもち、さまざまな暴力はこの模倣的欲望から生じるということを発見した。
Keyword01|リバタリアニズム
経済的自由と個人的自由を重視する立場。経済的には保守、社会的にはリベラルとなり、結果、米国では共和党と民主党の両者にまたがる。アメリカ合衆国は、他国に比べ個人の自由やコミュニティの独立性を重視する傾向が強く、中央政府に対し懐疑的だ。
Keyword02|ルネ・ジラール
ジラールはフランス出身の歴史家・哲学者であり、文学研究から独自の哲学を築き上げた。彼の模倣理論はアメリカで広く受け入れられ、ティールによる宣伝効果もあり、ルーク・バージス等によるビジネスマン向きの解説書も増えている。
Keyword03|逆張り
ティールの半生を「逆張り」という概念で分析し、彼を冷徹な技術革新至上主義者として描いたマックス・チャフキンの『The Contrarian: Peter Thiel and Silicon Valley's Pursuit of Power』(未邦訳)は現時点で最もよく言及される評伝である。