また人々は、こうした競争から生じるストレスを解消するために、集団で弱者を「犠牲」にする。ジラールは、この共同体による犠牲を「基礎作りの暴力」と呼んだ。暴力に基礎づけられた集団は、競争と犠牲というかたちで暴力を行使し続ける共同体になる(現在泥沼化しているイスラエル・パレスチナ問題を想起されたい)。ジラールは核兵器(暴力)によって戦争(暴力)を抑止する現代社会もまた暴力に基礎づけられた共同体だと考えていた。
ティールが著書『ゼロ・トゥ・ワン』で語った有名なキャッチフレーズ「競争するのは負け犬だ」は、ジラールの理論のティール流の言い換えである。本書でティールは自らの過去を回想している。幼いころから猛勉強で競争を勝ち抜き、スタンフォード大学に入学。同大学の法科大学院で法務博士号を修め、その後アメリカ合衆国最高裁判所の法務事務官の試験を受けるが、面接で不合格となり初めての敗北を経験する。その挫折の経験から彼は、自分がかけた犠牲(コスト)とその報われなさ、そして競争することの不毛さに気づいたのだという。その後、8カ月間ニューヨークで弁護士の仕事をした後、ティールはシリコンバレーに戻り、仲間たちとPayPalを起業して大成功を収めた。このティールの方向転換の指針になったのが、ジラールの哲学だったのだ。
イノベーティブな社会の実現、政治へのかかわり
ティール自身が認めるように、模倣的欲望を捨て、競争から完全に離脱することは簡単なことではない。それゆえ、できる限り「模倣しない・競争しない」ということが、ビジネス、投資、そして理想的な社会構築原則となる。ティールは、資本主義社会は必ずしもゼロサムの競争社会になる必要はないという信念に基づき実践を続けてきた。ビジネス、特にスタートアップにおいて「模倣しない・競争しない」ことは「独占(モノポリー)」となる。つまりすでに競争が激しい領域に参入するのではなく、まだ言葉にもなっていないニーズに応え、ニッチな顧客をつかむビジネスをするのだ。ティールがイーロン・マスクの会社と全面対決になることを避け、マスクを取り込んでPayPalをつくったこともまた、不毛な競争を避けた一例である。また投資における戦略は、「逆張り」だ。人気のある銘柄ではなく、人気のない、あるいは大きく下落した銘柄をできるだけ安く買って高く売るのだ。ティールがこの原則に基づき、ビジネスや投資で成功してきたことに疑いはない。
しかし、理想の社会を実現するための方策、つまりゼロサムの競争を招かない、イノベーティブな社会を実現するための具体策とは何だろうか。それはまさに先進国の停滞を克服する方法でもある。ここにティールの一筋縄ではないリアル・ポリティクスへのかかわりが登場する。それはダークで攻撃的ではあるが、同時に彼の哲学に忠実ともいえるものだ。