フォーブス:オプション取引ではどのような戦略をとっていたのか?
ピーターフィー:私が69年に考え出したオプションの評価モデルに基づいていた。ブラック・ショールズ式と大きく異なるものではなかった。そのためのコンピュータプログラムを自分で作り、トレーダーを雇った。我々の仕事は基本的に、手ぶりと声で注文を出し合う取引所のトレーダーに公正な価値を伝えることだった。
いくつかの手法があった。83年に手で持てるタイプのコンピューターを開発し、初めて我々のトレーダーがフロアでコンピューターを携帯した。すべてのトレーダーがポジションを把握できるようにする必要があった。つまり、コンピューター同士が通信できるようにする必要があったが、15年ほどは実現する方法がなかった。そこで私たちは、世界貿易センターのオフィスから指示を与えているフロアにブラウン管(基本的にはコンピュータ画面)を設置した。ポジションを常に把握でき、取引がヘッジ取引やリスクを増大させる取引になるよう、買値と売値を調整することができた。
この仕組みは非常にうまく機能していた。当社は2000年代初めの数年間、世界のオプション取引のおおよそ15〜20%を占めていた。その後、ブローカー事業がうまくいき始め、マーケットメイク事業は低迷した。そこでマーケットメイク事業から撤退し、ブローカー事業に専念した。それが現在の姿だ。