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2024.01.04 11:00

共産主義国家で生まれてウォール街で富豪になったピーターフィーの投資観

日下部博一
我々はマーケットメイクを推進する大規模なコンピューターシステムを構築し、毎日何十万ものオプション取引を手掛けてわずかな利益を得ていた。そうこうしているうちに、巨大な国際ネットワークができたため、マーケットメイク事業に加えてブローカー会社を設立することにした。2007年に株式公開した。その時点での企業価値は40億ドル(約5660億円)で、基本的にオプション取引で稼いでいた。その後、マーケットメイク事業は下火になり、この事業から撤退せざるを得ない状況になった。そこでブローカー専業となり、それが現在のインタラクティブ・ブローカーズだ。

フォーブス:オプション取引ではどのような戦略をとっていたのか?

ピーターフィー:私が69年に考え出したオプションの評価モデルに基づいていた。ブラック・ショールズ式と大きく異なるものではなかった。そのためのコンピュータプログラムを自分で作り、トレーダーを雇った。我々の仕事は基本的に、手ぶりと声で注文を出し合う取引所のトレーダーに公正な価値を伝えることだった。

いくつかの手法があった。83年に手で持てるタイプのコンピューターを開発し、初めて我々のトレーダーがフロアでコンピューターを携帯した。すべてのトレーダーがポジションを把握できるようにする必要があった。つまり、コンピューター同士が通信できるようにする必要があったが、15年ほどは実現する方法がなかった。そこで私たちは、世界貿易センターのオフィスから指示を与えているフロアにブラウン管(基本的にはコンピュータ画面)を設置した。ポジションを常に把握でき、取引がヘッジ取引やリスクを増大させる取引になるよう、買値と売値を調整することができた。

この仕組みは非常にうまく機能していた。当社は2000年代初めの数年間、世界のオプション取引のおおよそ15〜20%を占めていた。その後、ブローカー事業がうまくいき始め、マーケットメイク事業は低迷した。そこでマーケットメイク事業から撤退し、ブローカー事業に専念した。それが現在の姿だ。
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翻訳=溝口慈子

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