共産主義国家で生まれてウォール街で富豪になったピーターフィーの投資観

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1944年生まれのトーマス・ピーターフィーは、当時ソ連の支配下にあったハンガリーで育った。起業家気質のピーターフィーは高校時代に、輸入禁止品の米国ブランドのガム、ジューシーフルーツを級友に5倍の値段で売って小遣いを稼いだ。1965年、ピーターフィーはひと財産作ろうと米国に渡る。ニューヨーク大学に入学したが中退し、建築製図工として働き始めた。その後、エンジニアリング会社に入り、そこでコンピュータープログラミングの才能を磨いた。

続いてウォール街に職を見つけ、取引モデルの構築を始めた。77年には株式オプションの個人マーケットメイカー(値付け業者)として取引を行っていた。夜な夜な開発に取り組んだアルゴリズムがオプションの買い付けに最適な価格を決定するのに役立ち、ほどなくして利益がどんどん出始めた。79年には4人のトレーダーを抱え、全員がピーターフィーのモデルを活用。80年代には業界に先駆けて新しいテクノロジーを導入し、さらに優位に立った。

ピーターフィーは自社の電子取引機能を一般に販売する方法として、インタラクティブ・ブローカーズを93年に設立。2007年には同社の株式の10%を公募で売却し、約10億ドル(約1400億円)を手にした。

過去15年間、高頻度トレーダーたちがインタラクティブ社のマーケットメイク業務を引き継ぐ中、ピーターフィーはブローカー事業の成長に力を入れ、現在ではヘッジファンドや証券売買事業者を含む240万以上の顧客口座にサービスを提供している。ピーターフィーは時価総額330億ドル(約4兆670億円)を超えるインタラクティブ・ブローカーズの株式の約75%を所有しており、推定262億ドル(約3.7兆円)の資産を持つ、米富豪ランキング上位25人のうちの1人となった。また、推定30億ドル(約4250億円)の投資と現金、そして2014年に移住したフロリダ州を中心に56万エーカー(約2270平方キロメートル)以上の土地を所有。共和党の政治家や自由市場を支持している。

フォーブス:投資を始めたいきさつについて。

ピーターフィー:米国にやって来てまず製図工の仕事に就いた。それからコンピュータープログラミングを学び、ウォール街の商品取引会社に就職した。そこで言われたのが、コンピュータープログラミングをする前に商品取引の方法を学べということだった。そして商品取引所に連れて行かれて商品取引の仕組みを教えられた。それから私はオプションに特化するようになった。オプションの評価方法を知っている者はいなかった。私はオプションの価値を決める計算モデルを考え出すことに集中した。モデルを考え出した時、それを知っているのは自分しかいないと思った。ブラック・ショールズ式もあったが、私は知らなかった。

それで米証券取引所に申請してオプションのマーケットメイカーになった。マーケットメイカーとして売り買いを繰り返した。1回の利益はわずかながらも回数をこなして稼ぎ、かなりうまくいっていた。私は人を雇い始め、会社を設立。米国のすべてのオプション取引所のマーケットメイカーとなり、さらに欧州でデジタル取引所が開設されると、そこのメンバーにもなった。
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翻訳=溝口慈子

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