M-1王者を「笑いの頂点」に。お笑い界のルールを変えた会社員

島田紳助の奇想天外な提案

ただ、漫才を盛り上げろと言われても、何から手をつけたらいいのか分からない。劇場に通って漫才師の視察を続ける日々が続いた。

そんな中、谷にハッとする言葉を投げかけた者がいた。あとからプロジェクトチームに加入した後輩の橋本 卓だ。彼も制作部門の主流から外されて不満を持っていた人物である。

「私は芸人やクライアントに『漫才プロジェクトは漫才を復活するために、(会社によって)つくられた』と説明していました。それを横で聞いていた橋本が、『谷さん自身がつくったと言うてほしいんです』と主張してきたんです。私はそれまで木村常務の命を受けて動いている認識でしたが、その言葉で目が覚め、自分ごととして考えることができるようになりました」

そうして熱を持って動いていくと、少しずつ劇場での漫才公演が増え、大阪のローカル局でも漫才番組が始まった。

谷はさらなる突破口を探すため、かつてチーフマネージャーを務めていた島田紳助を訪ねた。そこで彼の口から出たのが「若手の漫才コンテストをやってはどうか」という提案だった。

「数日後に再び紳助さんの楽屋を訪ねると、『優勝賞金を1000万にして、金の力で漫才師の面をはたくんや!』と言われ、驚きました」

この提案を採用する形で、M-1の原案が確定した。谷は、M-1を全国ネットのゴールデン枠で放送しなければ、と決意する。このときに社内でとった行動が実は重要だったと、あとから気づいたという。

谷は、任された仕事は実績が出てから上司に報告すべきだと考えていた。ましてや漫才プロジェクトは、まだ大枠が決まりかけた段階。放送局もクライアントも何も決まっていない。上司に報告するとかえって悪い流れになるかもしれない。だが、同僚に「すぐに報告した方がいい」と、無理やり木村常務の部屋に連れていかれた。

「木村常務が紳助さんを好きなのはわかっていたので、その名を出すと、むすっとした顔が急ににこやかになり『わかった』と言われました。それに、実際に報告をしてみると、自分でも気づかなかった課題が見えてきたんです」
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文=矢吹博志 編集=田中友梨 撮影=小田光二

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