そこで本稿では、PMIのアジア太平洋地域リージョナル マネージング ディレクターであるソヒュン・カン(以下、カン)および、2023 Future 50の1人に日本から選ばれた東京大学 先端科学技術研究センター 准教授の松久直司(以下、松久)にインタビューを実施。2023 Future 50の概要や選出基準、評価のポイント、研究プロジェクトにおける課題や解決方法などについて話を聞いた。
未来を切り拓く新世代のリーダー50人「2023 Future 50」
いま、グローバル規模で「プロジェクトマネジメント」の需要が急速に拡大している。プロジェクトマネジメントといえば、その黎明期こそ大規模なインフラ業界の専売特許といった印象が強かったが、しだいにITやコンサルティングなどの分野へと拡大。さらに近年は、ビジネス自体の複雑化に加えて、各企業がDX推進を加速することにより、あらゆる業界・業種でプロジェクトマネジメントの重要性が認知されると同時に、その需要も高まっているのだ。
こうした中、プロジェクトマネジメントのさらなる普及を目指すPMIでは、2023年9月に未来を切り拓く新世代のリーダー50人「2023 Future 50」を発表した。2020年からスタートした「Future 50」は、プロジェクト・プロフェッショナルとしてあらゆる地域や業界を越えた変革を推進し、未来を再構築する50人の傑出したリーダーを世界各国から選出する取り組みだ。表彰は35歳以下が対象で、現役のプロジェクトマネージャに限らず、今後プロジェクトマネージャの候補となる人々も含まれている。
このFuture 50について、カンは「組織におけるプロジェクトを主導し、プラスの社会的インパクトを与えた人々を表彰するものです。35歳以下を対象としている理由には、若い世代の方々に日々の仕事を通じて、プロジェクトマネジメントの重要性を理解してもらいたいという背景があります。
仮に自分自身がプロジェクトマネージャでなかったとしても、何らかのプロジェクトを推進していく上で、プロジェクトマネジメントのスキルを求められる機会は非常に多いものです。そこで、実際に若い世代の方々がプロジェクトを成功に導いた実績および手法を表彰することで、今後の活動における模範にしたり、新しい刺激を受けたりといった効果につながれば嬉しいですね」と語る。
Future 50の候補者は、世界中のPMI支部や企業などを通じて推薦されるが、多様性を重視するという意味でも、PMIの会員や資格取得者に限定していないことが特徴だ。また、国や地域によって成熟度が違うため、それぞれの環境に応じていかにインスピレーショナルなプロジェクトを主導したかが重視されている。
不確実性やリスクの多い研究プロジェクトを“パワースキル”で成功へ導く
第4回目となる「2023 Future 50」で日本から選出された松久の選出理由と評価ポイントについて、カンは次のように語った。「プロダクト自体が非常に画期的かつ素晴らしいものだったことに加えて、その開発手法やプロジェクトの管理手法が非常に優れていました。こうした革新的なプロダクトの開発では、状況に応じて開発目標が変動する、ステークホルダーが多岐にわたる、チーム内のやるべきことに混乱が起きやすい、といった数々の問題がつきまとうものです。しかし、松久氏は細かいオペレーションの積み重ねとアジャイル開発手法の採用によって、こうした問題を見事に解決しました」
また、エンパワーメントによってチームメンバーのモチベーションを高く維持し続けてきた点も極めて重要だという。
「成功するプロジェクトマネージャは、技術的なスキルやプロセスをしっかりと理解しているだけでなく、コミュニケーション能力を含む“ソフトスキル”に長けていなければなりません。さらに問題解決能力を有し、戦略的な思考ができる、私たちが“パワースキル”と呼んでいる側面も、知識や技術と同等に必要といえます。松久氏が推進してきたプロジェクトは、不確実性やリスクが数多く含まれているにもかかわらず、パワースキルを駆使して見事に成功へと導いたことが、今回の表彰に至った理由のひとつです」(カン)
理想的なウェアラブルデバイスの実現に向けた電子素材研究プロジェクト
「2023 Future 50」の1人に選ばれた松久は、2017年3月に東京大学 工学系研究科 電気系工学専攻博士課程を修了後、シンガポール南洋理工大ポスドク研究員、米国スタンフォード大ポスドク研究員、慶應義塾大専任講師を歴任。現在では東京大学先端科学技術研究センター・准教授・博士(工学)および、東京大学生産技術研究所准教授・慶應義塾大客員准教授を兼任し、柔らかく伸縮性の高い電子材料および、それを用いた伸縮性電子デバイスの開発を専門分野としている人物だ。2022年には、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)のメディア部門「MIT Technology Review」が主催する国際アワード「MIT Technology Review Innovators Under 35 Global」を受賞した。松久は自身の専門分野について「たとえば、一般的にゴムは電気を流さない『絶縁材料』として認知されていますが、そこに電気を流せるようになれば、伸び縮みする柔軟性を活かした新しい電子デバイスの材料となります。このように材料は、次世代の電子デバイスを作るための基礎研究として存在するわけです」と説明する。
松久が研究する、柔軟性がある電子デバイス
電子材料の応用先として、現在もっとも注目されているのが「ウェアラブルヘルスケアデバイス」だという。現在の電子デバイスは、その多くが硬質で小型のものだ。しかし、サイズを大きくするとウェアラブルとしての機能を阻害してしまうことに加え、意外にも皮膚との密着性が低かったり、暑い時期には着用時の不快感が増したりと、まだまだ改善すべき部分は多い。
松久はこの点について「ウェアラブルデバイスの理想は“身につけているのを忘れてしまうこと”です。皮膚と同じような柔軟性を備えた電子材料なら、絆創膏を貼るような感覚で電子デバイスを装着できるようになります。これは生活の妨げにならないだけでなく、密着性の高さによって得られる信号の品質が大幅に向上するという利点もあるのです」と語る。
このような電子デバイスが実現すれば、装着状態で不快感なく日常生活を送りながらも、より正確なヘルスケアモニタリングが行えるようになる。たとえば、数ヶ月に一度病院で検診を受けていた患者が装着すれば、検診のない期間中でも健康状態の急激な変化を察知し、即時受診することが可能。心臓や脳などの病気を早期発見できるようにもなり、総合的に健康寿命の延伸効果が期待できるわけだ。またヘルスケア以外にも、コントローラーが主流となっているVRやARのヒューマンコンピュータインターフェースをより自然な形に変えられたり、ロボット用の電子人工皮膚に活用したりと、実にさまざまな分野での応用が考えられる。
異分野連携が多い研究プロジェクトならではの苦悩
研究のプロジェクトには、異分野連携を求められる機会が非常に多い。たとえば1つの電子デバイスを開発するだけでも、有機合成から電子材料の開発、それを用いた電子部品の製造、さらにはシステム開発に至るまで、実にさまざまな分野との連携が必要不可欠だ。しかも電子デバイスを構成する部品は多岐にわたるため、部品ごとの開発進捗や完成見込みなどを的確に管理する、つまりプロジェクトマネジメントの手法が大きな効果を発揮するといえる。「大規模な研究になるほど、管理すべき対象が増えていきます。私の場合はプロジェクトマネジメントに関する専門の勉強や資格取得をしたわけではなく、数多くの研究プロジェクトへ参加し続けているうちに、当初こそ無意識に実践していたものが、自然とその知識や経験が身に付いたという感じですね。」(松久)
また、プロジェクト内で関連する研究分野が多岐に渡ると、自身の研究分野における価値や言葉が伝わらないことも多く、必然的に各分野の研究者との意思疎通を求められる機会が増えるそうだ。実際、世界的に見ても電子材料のみ、もしくは電子デバイスのみなど、研究対象を絞り込んでいる研究者は多い。しかし松久の強みは、その両分野に精通している点にある。
「もともと学生時代に電子デバイス関連の研究をしていたのですが、その過程でどうしても材料の性能が足りず、作りたいものが作れないということがありました。そこで、電子工学科に在籍しながら電子材料の研究も始めたところ、この分野に大きな可能性を感じたのです。こうした活動経験を通じて、各分野の橋渡しとなる知識やコミュニケーション能力が身に付きました」(松久)
モチベーション維持や目標に対する計画管理なども課題に
コミュニケーションという観点では、他者のモチベーションを維持することも難しいポイントのひとつだ。研究の場合は一般的な企業と異なり、研究員として雇用されているケースを除けば、個人に対する金銭のやりとりは基本的に存在しない。そこで、研究を介してどのような価値を返せるのか理解してもらったり、個人の付き合いのみで他者のモチベーションを獲得する必要が出てくる。こうした点においても、松久が培ってきたコミュニケーション能力は、大きな効果を発揮しているといえるだろう。そのほか、研究では誰も達成したことがない事象や物質の完成などを目標とするため、どうしても計画通りに進みづらいケースが増えてくる。この点については、壁に直面した段階で方向転換をしたり、目標変更のタイミングについて勘所を養うことで対処しているそうだ。
「私が日頃から心掛けているポイントとしては、他者の研究についてポジティブに意見すると同時に、いかに自分が貢献できるかを考えています。それを伝える上では、分かりやすく印象に残るプレゼンテーションや言葉使いも重要ですね。そして、広い分野の研究について大まかな全体像を理解し、研究のゴール・落とし所をたくさん持っておくことも大切だと感じています」(松久)
最後に松久は、今回のFuture 50選出にあたり「これまで一人の研究者として自分の研究に邁進してきましたが、そのスキルや経験をプロジェクトマネジメントというジェネラルな視点で評価していただけたことに喜びを感じます。プロジェクトを通じて得た成果の一つひとつが、私にとっては沢山の人との繋がりの記憶であり自己実現です。人生を豊かにするスキルとして、今後もプロジェクトマネジメントの能力を高めていきたいと思います」と語ってくれた。