そんな燕三条地域は、「クリエイティブが集まるまち」としてさらなる成長を目指し、今年から運営体制を一新。地域の若手経営者らが新たな団体「KOUBA」を立ち上げ、再スタートを切った。これまでオープンファクトリーと向き合うことで見えた、燕三条が目指す次なるフェーズとは。
開催初日、JR東日本・燕三条駅に到着すると、目を引いたのはモノトーンの背景に包丁やカトラリー、やかんなどの写真が散りばめられた、スタイリッシュなポスターだ。ピンクのストライプを基調としたこれまでの祭典のキービジュアルとは対照的な印象だ。
ポスターのデザインをはじめ、全体監修を務めた新潟市を拠点とするクリエイティブディレクターの堅田佳一の案内で、2日にわたり燕市と三条市の工場を回った。
10年でまちが変わった。若手が支える燕三条の伝統技術
まず訪れたのは、新潟を代表する伝統工芸の一つ、鎚起銅器を製作する創業200年以上の老舗「玉川堂(ぎょくせんどう)」だ。1枚の銅板を鎚で叩き起こして製作する鎚起銅器。カンカンカンと音が聞こえてくる工房の中に入ると、高い天井の下で職人たちが木台に座り、金鎚や木槌で角度を変えながら銅板を打っている。銅の色の出し方や、玉川堂を代表するボディ部分から注ぎ口まで継ぎ目がない「口打出(くちうちだし)」の制作工程などを、若手職人が丁寧に教えてくれた。
技術はもちろんだが、それより驚いたのが従業員に若い人が多かったことだ。実際、18人いる職人のなかで13人が20,30代という。「伝統工芸、ものづくり、職人」といった言葉から、私は熟練の匠たちが慣れた手つきで黙々と仕事に打ち込むような情景を浮かべていた。
7代目の玉川基行社長自身も驚きを隠さない。「工場の祭典が始まる前は、職人の平均年齢も50代だったのが今では30代前半です。十数年前は年間で職人の入社希望者が1年に1,2人だったのが、今では約50人に増えました」
新卒採用を行うなかでも、希望者の多くは芸術系の女子学生なのだという。玉川社長は「この10年でまちも、玉川堂も大きく変わりました。オープンファクトリーの影響はやはり大きいですね」と振り返る。