ラグジュアリーもコミュニティも「デザイン」が突破口になる

アイマスクをするとはじめは戸惑う @Ken Anzai

ラグジュアリーは若い世代の考え方の影響を受けても変容しつつあることを『新・ラグジュアリー 文化を生み出す経済 10の講義』で書きました。デジタル化による情報の透明性、気候変動や社会的公平への敏感さが背景を背景に、ラグジュアリーのビジネスが既存の枠組みではもたなくなってきたということです。

先日、ミラノ工科大学経営工学部で開催されたカンファレンスに出かけてきました。ソーシャルイノベーションがテーマだったのですが、そこで聞いたエピソードから冒頭のことに想いを馳せました。同大学は経営工学の学部のなかにソーシャルイノベーションのコースを設置する予定で、そのコースを担当する教授は以下のように語っていました。

「一部の学生たちから『どうして第三セクターなどという表現がいまだにあるのか?』と問われてきて、私たちは答えに窮するようになった。従来の会社の枠組みと別であるという意味でNGOやNPOを指す第三セクターという呼称があったわけだが、会社そのものの役割が変わりつつあるなか、自分たちの教育内容は第三セクターという言葉に囚われていたことに反省した」

公的機関が担う第一セクター、民間企業が担う第二セクターと区別されてきて、だからこそ第三のセクターという表現に価値がありました。この言葉が生まれた当初は、新たな価値を提供する拠点としての明るい響きもあったと思います。

しかし、今や、これらのセクター同士は重なり合い、お互いに協力する形態が広まりつつある。民間企業であるからといって「社会課題は私たちのビジネスと関係ない」と公言できない。仮に大きな規模の知名度の高い会社の経営者がこう発言すれば、人々から袋叩きにあうでしょう。

ただ、本来、企業は社会的な課題と正面から向き合うはずだったものですが、どこかで軌道をはずれてしまったようです。そして、このところ「目覚めた」というのが実態でしょう。

このような時代に生きる学生たちにとって第三セクターという区分は新しい試みを招く希望ではなく、古く頭の硬い世代の遺物のように見えるのです。とは言うものの、あくまでも一部の意見であり、やはり学生によって温度差があるのは確かです。公的なことへの関心が「当たり前化」しながらも、殊に、企業活動が社会を動かすウエイトが高いと考える人たちが経営学を学ぼうとする学生に多い傾向には変わりがないです。
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文=安西洋之(前半)・中野香織(後半)

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