GTAの犯罪の多さに対する苦言は、意外なところからも出た。「女嫌い」を自称するインフルエンサーのアンドリュー・テイトと弟のトリスタン・テイトが、GTAのモラルを批判したのだ。2人はいずれも、レイプや人身売買などの犯罪で訴追された人物であり、進歩派の人々からはこの皮肉を指摘する声が即座に上がった。
実業家のイーロン・マスクも同様の発言をしている。マスクは、自分がGTAシリーズを楽しめなかったのは「犯罪をするのが好きではなかった」からだと説明。プレイヤーがゲーム内で警察官を撃つよう促されることに不満を示し、自分は「どうしてもできなかった」と説明した。
今の時代は、GTAの前作が発売された時代とはまったく異なる。アンチ・ウォーク派が同シリーズを有害なものとして拒絶する一方、他の人々は皆、アンチ・ウォーク派がけしかける「文化戦争」に嫌気がさしている。
フィクションのモラルに関するネット上の議論がなくなることはないだろうが「ウォーク」という言葉には、もはや新鮮味はない。かつては刺激的なコンテンツを作る上での格好の材料だった「ウォーク」は、その甘い果汁がコンテンツクリエイターたちによってすべて搾り取られ、干からびてしまったのだ。
ユーチューブでアンチ・ウォーク派の動画を喜んで視聴する人々は今も存在するが、こうしたコンテンツに対する疲労感が広まっており、アンチ・ウォーク運動には未来がないという暗黙の了解がある。
アンチ・ウォーク派のクリエイターからは、新鮮で鋭い意見は期待できない。そうした人々のほとんどは、子どものいない男性で、8歳児向け映画を見るのに膨大な量の時間を費やしている。
GTAは常に「危険な」ゲームとされてきた。保護者の間で極端な不安をかきたてるゲームであり、現実世界での暴力行為を触発する低俗なゲームとされていた。
だが今や、平均的な5歳児が『Roblox(ロブロックス)』やユーチューブのショート動画で毎日延々と目にしているおぞましいコンテンツの危険度は、GTAとは比べ物にならない。
GTAはもはや「危険な」ゲームではないし、同シリーズのモラルをめぐるパニックを引き起こそうとする試みは、現在のメディアをめぐる状況を考えると、完全に的外れだ。
もちろん、コメントの大半は、GTA新作への期待を表明するものだった。ただし、2025年という発売時期は、もどかしいほど遠い先の話ではある。
(forbes.com 原文)