今年4月、カシオの新社長に増田裕一が就任した。驚いたのは本人だけではない。この人事には時計業界全体が「まさか」だった。
そう受け止められた理由はいくつかある。まず、創業家外からの社長就任だったことだ。カシオは代々、創業家の樫尾家が社長を務めていた。増田は「G-SHOCK」生みの親のひとりであり、カシオ躍進の立役者だが、それでも非同族の社長就任は初めてだ。また就任当時、代表権をもつ会長となった4代目の樫尾和宏は57歳で、増田は69歳。若返りではなく、一回り上になったことも意外だった。
ただ、本人が「まさか」と感じたポイントは異なるようだ。
「上場企業の経営は、投資家の厳しい目線にも応えていかなくてはいけない。だから経営全体がわかるプロ経営者を外から呼ぶものだと思っていました。私は生え抜きで、事業のことしかわからない。そのギャップをどう埋めていけるか。就任から半年たった今でもプレッシャーです」
投資家がカシオに向ける目は特に厳しい。連結売上高は08年3月期に6000億円を超えていたが、それをピークに下降トレンドに。携帯電話、プリンター、デジカメなど撤退が相次ぎ、23年3月期は2638億円と、かつての半分以下だ。
なぜ長期的に業績が悪化したのか。増田は組織風土を原因としてあげた。
「会社が大きくなるにつれて、待ち受け的な組織風土になっていました。伸びているときはまだいいですが、業績が悪化すると部署間で『あっちが悪い』と粗さがしが始まり、余計に自分から動かなくなってしまった。業績向上は、社長のアイデアでどうにかなるものではない。組織風土を変えて社員の力を最大限に生かすことが大切です」
カシオは現在、新しいビジョンやミッションの策定中だ。増田は就任直後、指針としていくつかのステートメントを出した。仕事に向き合う姿勢のひとつに「自由闊達」というキーワードをあげたのは、まさに待ちの姿勢から脱却を願ってのことだ。
増田自身、若いころから自由闊達の体現者だった。学生時代、東レがマーケティングで日本中にミニスカートをはやらせた話を知り、マーケティングに憧れた。しかしカシオは開発本部主導でプロダクトアウトの商品づくりをしており、商品企画やマーケティングの部門はなかった。
技術本部で新製品のスケジュール管理を担当していたある日、開発本部の先輩が研究所3階のトイレから時計を落とす実験をしていた。当時デジタル時計は防水性能競争になっていたが、「防水を超えた何かができるかも」とピンときた。部門を超えて先輩らと有志のチームを結成し、商品企画の発想を加えた。そこで生まれたのが「G-SHOCK」だ。