たしかに、こうした分類は、面白い視点ではあるが、実は、筆者は、こうした「二項対立的」な人間観や才能観は、正しくないと考えている。
なぜなら、人間は誰もが、その才能を正しく開花させていくならば、論理思考の力も、直観判断の力も、いずれも磨いていくことができるからである。
実際、筆者が巡り会った優れた経営者は、誰もが、この二つの能力を持っていた。例えば、経営会議では、極めて論理的に幹部を説得するかと思えば、重要な意思決定の場面では、理屈抜きの鋭い直観で、経営判断をするといった姿は、しばしば目にしてきた。
そして、筆者自身も、及ばずながら、70年余りの人生を通じて、この二つの能力を磨いてきた。
筆者は、工学部の大学院で博士号を得た経歴の人間であるが、この博士課程の研究者の時代には、論理思考の極みである「システム工学」を学んだ。
それゆえ、この時代には、世の中のすべての物事は、論理的に説明できると思い、さらには、世の中のすべての事象は、数学モデルで表現できるとさえ考えていた。実際、昼食時間に研究室から街に出ると、交差点を渡りながら「この交差点での人々の動きは『モンテカルロ法』でシミュレーションできるのではないか」と考え、銀行のATMに並べば、「この人々の待ち時間を『待ち行列理論』で最小化できないか」と考えるような人間であった。
しかし、大学院を卒業後、民間企業に入社し、ビジネスの世界の生々しい現実に日々直面し、マネジメントや経営の世界の高度な判断を数々体験するにつれ、世の中には論理思考だけで解決できないことが無数にあることを知った。そして、現場での悪戦苦闘を通じて身につけた直観判断の力こそが、経営者として不可欠の能力であることを学んだ。
それが、後年、筆者が、『直観を磨く』などの著書を上梓し、「マネジメントとは、最高のアートである」と語るようになった理由である。
では、なぜ、大学院で「論理思考」の極みであるシステム工学を学んだ人間が、後に、対極の力である「直観力」を身につけることができたのか。