この言葉そのものを直訳した英単語はないが、この語が表す現象は、言語や地理の境界を越える。私たちは誰もが、他人の失敗や屈辱を──たいていはこっそり──おもしろがったり、ひとときの喜びとして感じた経験を持っている。
だが、心理学者たちは今、この行儀の悪い、罪深い喜びにスポットライトを当てつつある。自分の「シャーデンフロイデ度」を測れるスケールもつくられている。
シャーデンフロイデとは何か? どんなときに感じるのか?
シャーデンフロイデは、一般的には眉をひそめられる感情なので、時には自分も他人の不幸を大いに喜ぶ可能性があると認めるのは難しいかもしれない。そこで、『Personality And Individual Differences』誌に掲載された研究で提示されているシナリオを考えてみよう。あなたは、職場での長い一日を終えて、車で帰宅している。あなたの車のうしろに、裕福なビジネスマンの運転する高級スポーツカーがぴったりくっついてきたと想像してほしい。
ビジネスマンはしばらくのあいだ、あなたの車のすぐ後ろから離れず、あなたが煽られているように感じる受動攻撃的な運転をしたあと、あなたを追い越し、前方の信号を突っ切っていく。そこで突然、スピード違反監視カメラのフラッシュがあなたの目に入る。ビジネスマンはスピード違反の現場を押さえられたのだ。後日、多額の罰金を通告する書簡を受けとることになるだろう。
あなたがこんなシナリオを体験したら、どんな気持ちになるだろうか? 同情して、気の毒にと思うだろうか? それとも、いくらか満足したり、おもしろがったり、喜んだりするだろうか?
後者の感情は「他人の不幸を目にしたときに感じる喜び」であり、シャーデンフロイデの典型的な例だ。そして、そんなふうに感じるのは異常なことではないだろう。シャーデンフロイデはありふれた感情であり、そうした感情を抱いたからといって、あなたがひどい人間というわけではない。つまるところ、どんなときに、どういう理由でそれを感じるか、ということが重要なのだ。
隠しカメラを設置し、街の人々にちょっとしたいたずらをする『ジャスト・フォー・ラフス・ギャグズ(Just For Laughs Gags)』や、4人がお互いに恥をかかせようと競うリアリティ・ショー『インプラクティカル・ジョーカーズ(Impractical Jokers)』といった番組の人気は、誰もが、場合によってはシャーデンフロイデ的感情にふけることがある、という事実を浮き彫りにしている。
時として、他の人が屈辱的な不幸に陥ったのを見て「良い気分」になることは、あるだろう。だが、こうした罪深い喜びにあまりふけりすぎると、問題になることがある。