事業継承

2023.11.23 11:30

M&Aの失敗事例から学ぶ 買収側は「油断」と「悪意」に気をつけよ

売主の「悪意」を見抜けず従業員が大量離職

続いては、50人前後の規模でIT事業を営んでいた関東の企業の事例である。

10年以上勤続の社員が半数を超え、新入社員も毎年増えていた。増収を重ねていたが、メインの事業で稼いだ収益を従業員に還元することは少なかった。ある意味、社長の思い付きとも言える新規事業に投資を重ね、その大半が実ることなく失敗していた。ときには保育事業や健康食品関連の事業への進出も考えていたため、キーマンの社員が代表を制止することも日常的だった。

この社長がM&Aで売却すると決めた契機は、そのキーマンが他の従業員を引き連れて辞職する申し出をしてきたときだった。社長は、現状の経営に嫌気がさしていたキーマンらを一時的になだめることはできたが、根本的な解決にはいたらず、時間だけが過ぎていった。

年々従業員が増え、毎年売上が伸び、利益は投資分を除き一定以上は確保し続けていることから、表面的には買手のつきやすい企業であると判断された。買収側はキーマンに会おうとしたが会えずじまい。結局、売却側がこの騒動を明かさないまましたM&Aを成約してしまったが、やはり大きな問題を引き起こした。

売却企業の従業員がM&Aを一種の裏切り行為に感じてしまったため、離職を加速させてしまう事態を招いた。もちろん買収側の企業としても寝耳に水。事態をなんとか落ち着かせることしかできなかったが、結果的に表明保証違反として損害賠償請求の問題に発展してしまった。

この事例で特にアンテナを張るべきなのが、企業の売却理由である。これだけ儲かっていて、人材も確保できている。親族内に後継者がいなかったとはいえ、「売却したい本当の理由は何なのか?」という疑問を持つことは不可欠である。

また、一般的に考えれば、10年以上勤続している社員がこれだけいれば、自社の後継者問題について話している社員が1人や2人いてもおかしくない状況だろう。その社員との接点をM&Aが成約するまで買収側の企業に対し頑なに拒否していた事態は、明らかに「アラート」が鳴っていると理解していい。

良い条件だと思い込んだときほど慎重に

極端に聞こえるかもしれないが、M&Aでは、売却側の企業には多額のお金が入る、もしくは、債務を引き継いでもらってリスクが軽減される。一方、買収側はリスクも受け入れ、何年かかけて投資回収しなければならない。そのため、買収側はリスクを把握する手だてをしっかりと講じることがM&Aの失敗を避けることにつながるであろう。その代表策を挙げたい。

1. 売手の売却理由を確認する

前述の事例の通り、買収側はこの理由に納得いかないのであれば気をつけてほしい。

2. タイムスケジュールを確認する

通常のM&Aでは時間をじっくりかけてでも、良い相手や条件を引き出したいと考える。だが、何か理由をつけて交渉を急かせることがあるのであれば、相応の理由を得てほしい。

3. 経験と知見の深い専門家に買収監査を頼む

M&Aに取り組む税理士事務所などが増えてきたが、M&Aの実務経験がほぼないにもかかわらず、監査を引き受けているケースがある。経験や実績などについて確認してほしい。

リスクを回避するM&Aのスキームとして表明保証やクロージング条件付きの契約書などを織り交ぜる手立てもある。良いM&Aだと思い込むほど分別に欠いてしまう。慎重な判断と対応を心掛けていただきたい。

文=安藤智之

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