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2023.11.15

クリエイティブが集まる燕三条「デザイナーと経営者の幸せな関係性」とお金の話

新潟県燕三条地域で開かれた「燕三条 工場の祭典」のトークショー (c)「燕三条 工場の祭典」

世界中から「クリエイティブが集まるまち」を目指す新潟県燕三条地域。包丁、カトラリー、爪切りなど世界有数の金属加工産業が集積する町で、10月26日から4日間にわたり、オープンファクトリーイベント「燕三条 工場の祭典」が開かれた。
 
立ち上げから10年が経ち、今年は地元の経営者たちが支援団体KOUBAを設立し、運営体制を一新。新潟市を拠点とするクリエイティブディレクターの堅田佳一が全体監修を務めた。
 
初めて連日トークショーを展開。初日は「経営にインパクトを与えるクリエイティブの活用法」をテーマに、堅田が聞き手となり、カーペットメーカーの堀田カーペット(大阪府)代表の堀田将矢、越前漆器製造・販売の漆琳堂(福井県)代表の内田徹、全国の事業者と商品開発を行うTHE(東京都)代表の米津雄介の3人が登壇した。
 
地方の中小企業や伝統産業が、経営にどうデザインを取り入れたか。リアルな失敗談から事業成長に繋げるヒントを探った。


アトツギ入社後、直面した危機感

堅田:クリエイティブを取り入れることで事業の成長へとつなげてきた経験をお持ちかと思いますが、堀田さんは3代目、内田さんは8代目として、なぜ家業を継ごうと思ったのでしょうか。
 
堀田:社会人5、6年目の頃に父親から継ぐかどうか聞かれたんです。ちょうど社会人としても自信が出てきたので、会社の状況などは知らず、なんとなくできるだろうと思って返事をしました。
 
内田:大学のころは教職員を目指していて、教育実習のときに地元に帰るじゃないですか。大人になって親の仕事ぶりを見たときに、教員よりも楽しいかもと思うようになって、大学卒業後に家業に入りました。
 
堅田:会社に入ったあと、本格的に経営に携わるターニングポイントはいつだったのでしょうか。クリエイティブを事業に取り入れたきっかけも教えてください。
 
内田:ホテルや旅館で使う業務用漆器を主に作っていたのですが、入社以降どんどん売上が落ちていくので、就業10年目を機に挑戦してみようと思って動きはじめました。
 
工芸って自分が作ったものは周りの職人も作れるんです。だから伝統として受け継がれていくんですが、そうなると差別化するには技術ではなく、デザインしかないんです。そう思ったときに、中川政七さんの書籍『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり』に出合いました。地方でも頑張っている人がいるんだと知ったのが転機でしたね。
 
そこからオリジナルの商品作りをはじめ、BtoBビジネスだけだったころから、数年で売り上げを3倍に伸ばしました。 
 漆琳堂代表 内田徹

漆琳堂代表 内田徹 (c)「燕三条 工場の祭典」


堅田:デザインに注目してから、実際に形にするまではどういう過程があったんでしょうか。
 
内田:はじめは展示会に出品しました。そのあと産地まできてくれた人から初めて依頼を受けたのが、クリエイティブデザインに触れるきっかけでしたね。
 
堅田:堀田さんはいかがでしょうか。
 
堀田:市場の縮小に伴いバブル期に10億あった売上が、私が入社した2008年には4億ほどに落ちていました。いいものを作っているのに売れていない現状を知って、なんとかしないと、という危機感だけが強かったです。クリエイティブについて全く知識はありませんでしたが、これから生き残っていくためにはブランディングに力を入れるしかないと思っていました。(続く)
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文=川上みなみ 編集=督あかり

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