テレークやリモートワークという言葉が登場する以前から、ごく当たり前にそれを実践してきた企業が九州にある。福岡を代表するテクノロジー企業、ヌーラボの代表・橋本正徳は現在39歳。創業は2004年。昼間は派遣プログラマとして働きながら、深夜にウェブ上のオープンソースコミュニティに出入りし、一緒にコミュニティーを運営していた仲間ら3人と会社を創立した。
「インターネットの黎明期、特にテレホーダイがあった頃なんて、ネットというのは夜中に家でパジャマを着てやるものだった。会社を立ち上げる以前から趣味でインターネットやパソコン通信をやっていましたが、オンライン上のソースコードを共有して、知らない人たちが手を組んでプログラムを完成させるようなことは普通にやっていた。起業した当初はお金も無いからオフィスが持てない。だから、それぞれが自宅からつながって仕事をするのが普通だったんです」
ヌーラボの代表的なプロダクトであるプロジェクト管理ツール「Backlog」のサービス開始は2006年。当時、東京の大手企業からの受託開発業務が中心だった橋本らは、プログラム開発の現場でスムーズな情報共有ができるツールがあればみんなに使ってもらえると思い開発を進めた。
「当時のコミュニケーションはメールが中心でした。たまに電話もかかってくるけれど、電話は言った言わないの話になるからプログラム開発には向かない。楽しく仕事を進めることが出来て、エビデンスも残るツールとしてBacklogを作りました。仕事をくれたお客さんの側にも自社の製品を導入してもらい、使いやすさを追求して磨きあげていきました」
Backlogに続き、2010年には図形共有ツールの「Cacoo」(カクー)をリリース。DeNAやCookpadといった国内大手でも利用され、ユーザー数は世界で170万人以上。その8割以上が海外企業だ。現在は福岡、東京、京都の三拠点にオフィスを構え、海外ではニューヨーク、シンガポールに拠点を置き、台湾、ベトナムにもリモートで働く社員がいる。
「同じタイムゾーンにいる仲間、特に福岡、東京、京都に関してはオフィスの様子を動画も音声も含め、ライブ中継でつながっています。うちの場合はテレワークというよりも、多拠点オフィスと呼んでいますが、特に意識的にこういうスタイルを選択したのではなく、みんなが住みたい場所に住みながら仕事をやるうちに、気がついたらこうなっていた」
福岡、京都、東京の3拠点を常時、ビデオ会議システムで中継
取材中、ミーティングテーブルに置かれたモニター越しに東京の開発チームに声をかけてもらうと自然なノリで雑談がはじまり、やがて京都のチームがそれに合流。福岡、東京、京都の3拠点をまたいだ会話がはじまった。
「基本的にネットがつながっていれば仕事は出来る。いろんな拠点があったほうが優秀な人材も採用しやすいメリットもある。結婚を機に福岡から二時間ぐらいかかる離島に移住した女性社員もいて、彼女の場合は出社は週に一度だけ。ほかはずっと在宅でやっています。社員全員と合うのは年に一回の合宿ぐらい。三ヶ月に一度は社内総会をオンラインでやっています」
福岡オフィスに勤務するのは15名。「営業職が居ない」というヌーラボのオフィスにはスーツを着た社員が一人も居ない。「いっそのこと、社長自身も在宅勤務で務まるのでは?」と尋ねてみると、
「僕自身は家に居ると、嫁さんや子供がいるから気が散って仕事に集中できない。出勤したほうが気持ちの切り替えができるから会社に来る。けれども要は結果が出せればいいんだから、働き方は個人のスタイルに任せるという方針です」
スーツを着た社員が全く居ないヌーラボ福岡オフィス
福岡生まれの橋本は高校卒業後に上京。中島らもの劇団「リリパットアーミー」の芝居にハマり、劇団員をやったりDJとして活動をした後、二十歳で結婚したことを機に、福岡に戻った。
「あの頃は、何の仕事をやってるか分からない連中ばかりで一軒家を借りて住んだりするような、アーティスト的な自堕落な生き方みたいなものに憧れがあった。でも、子供も出来て、一体どうやって食っていくか考えた時、普通の会社員には向かない性格だから、自分で何かやるしかないなと思った。プログラムはちょっとかじったことがあって、これは武器になるかもしれないと思い、三ヶ月ほど派遣社員として働いてから会社を立ち上げました」
起業ブームに湧く福岡で、10年選手の橋本はやや離れた視点から事態を眺めている。
「僕が東京に居た頃は、クラブカルチャーが最も面白かった時代。西麻布のイエローではDJの田中フミヤが回していて、自分のレーベルの『とれまレコード』を立ち上げて注目を集めたり。大手のレーベルに頼らず、インディーズでちゃんとビジネスとして成立していて、かっこいいなと思った。今は福岡でも大手のVCから資金を入れて、M&AとかIPOを目指すといった話もありますが、それって本当にわくわくするストーリーなのかなと思ったりもします。そもそも僕らはオープンソースのコミュニティーから出てきた人間だから、カウンターカルチャーとしてのインターネットというのが好きなんです」
グローバルの視点から見て、橋本が今一番注目している都市はベルリンだという。
「ロンドンには『テックシティ』という一角がある。五輪の後の空いた土地が寂れて、ちょっと怪しいエリアになって賃料が下がって、その場所にスタートアップ企業が集まっている。ベルリンも東西ドイツの崩壊以来、アートやテクノロジーが入り混じって面白い人たちが集まる土壌が出来ているという噂を聞く。福岡も天神や博多は洗練されたイメージですが、ヌーラボがある中洲は、うちのビルの隣も巨大なホストクラブだったり、カオスな魅力がある場所だと思ってます。中洲がベルリンみたいになれば面白いかもしれないと思っています」
コミュニケーションとディスコミュニケーションというテーマにも話は及んだ。
「ウェブでつながって仕事をしていると、やはりコミュニケーションの限界は感じます。みんなが集まっているオフィスと、離れたオフィスとの間に主従関係が生まれてストレスになったり、単純に孤独感を感じたり、やっぱり会わないと理解できない部分というのはある。でも、リアルで会わないことが生む、コミュニケーションの齟齬や行き違いや勘違いから、何か新しいものが生まれたりもする」
今年から台湾のスタートアップ企業との取り組みも本格化させていく。働く個々人のライフスタイルに合わせ、手作り感あふれる「結果オーライ」なスタイルで成長を続けるヌーラボのチャレンジはまだ始まったばかりだ。