村田:海外進出ですね。ブランドとしては、最初から国内だけでなくミラノやパリで存在感を出せるようにと思ってやってきました。一番大きなきっかけは、2020年にミラノコレの公式スケジュールの中で、プレゼンテーションとしてコレクションを発表したことです。そこから現地のショールームと契約して、どんどんマーケットを広げていこうとしていました。
でもそのタイミングでパンデミックになり、全部ストップ。ここ2、3年は国内の地固めに専念していましたが、ようやく海外展開を再スタートさせようとしているところです。
中道:デザイナーとしてものづくりに没頭することとビジネスを考えるのとでは、思考を分けなければいけないと思うのですが、どうしていますか。
村田:右脳と左脳の使い分けみたいなことは自分で意識してやっています。JIL SANDERに夫婦のクリエイターがいて、妻は右脳を使うクリエイティブ面を担当し、夫は左脳を使い論理的にブランドを組み立てるというように役割分担をしていました。2つのバランスがしっかりとれてはじめて魅力的なブランドになるのだな、自分がブランドをつくったら右脳と左脳の使い分けはすごく重要になるなと思っていました。
でも自分はデザイナーなので、ビジネスはなかなか難しくて。最近ではビジネス面を見てくれるパートナーと仕事をし始めています。
中道:今、チームは何人ですか。
村田:実は、社員は僕ひとりです。生産管理は業務委託でアシスタントが何人かいますけど、そろそろ限界かなと。世界に出て行くためのチームや、自分が一番大事なところに集中できる環境をつくっていこうと思っています。
中道:これから村田さんは、自分が思うミッションを形にしていくのだと思いますけど、今後のブランドをどのようにイメージしていますか?
村田:日本から、イッセイミヤケ、ヨウジヤマモト、川久保玲という3人が世界に出て、そのあとにsacai(阿部千登勢)、自分はそのあとに続いていくようなイメージをしています。ただ、そう思いつつ、今までとは違う形の広げ方もあると思っています。
これまではファッションショーという閉鎖的な環境に招待された人たちだけが情報を握り、それを小出しにしながらブランド価値を高めていました。でも今はそういう情報格差がなくなりました。自分たちのプレゼンスを発信する新しいコミュニケーションの方法を見つけることができれば、ブランドの魅力は世界に広がっていくのだろうと考えています。
中道:すごく想像できるけれど、形にするのは難しそうですね。