いい農業政策を作っても使い手がいないなら、いち農家として生きる
秋田市の高校時代、植物の研究で論文発表までした保坂さん。
その興味と経験を活かし、大学では秋田県の基幹産業である農業を学ぼうと思った。東京の大学と県内との選択肢があったが、地元の強みを知らないまま出ていくことに違和感を感じ、秋田で進学をする。
農業の政策立案が専攻だったが(アグリビジネス学科政策・経営マネジメント)、現場を知らずに効果のある政策はできないと考え、休学し農家として男鹿で畑を耕し始めた。
「男鹿で農業を始めてみて、そもそも政策を作っても農業従事者が減少しているので、政策の対象者がいなくなってきていることを知りました。実際に手を動かす農家さんがいなければ政策を厚くしても意味がない。だから自分は一集落の農家として、まずは知り合いやお客さんの店で欲しいものを聞いて作るという形で農作物を作り始めました。なので男鹿には21歳から通っていて、稲とアガベができた後に完全に移り住みました。レストランができる前から土地の人間関係が作れていたことが、レストランにも農業担当としてもすごく生きました」
「稲とアガベ」に『土と風』オープン当時からアルバイトとして手伝っていた保坂さんは、ついに正社員になる道を選ぶ。
「パートーナーとの結婚を考え始め、収入を安定させるために、代表の岡住に正社員として雇ってくださいとお願いしました。無事結婚したのは岡住さんのおかげです」
この先の目標は男鹿に一軒家を買って腰を落ち着けることだという保坂さんがジョインしたのはそれだけの理由ではない。入社に際し、稲とアガベの酒米を作るという新たな仕事も引き受けた。
「今の田んぼだと、うちの蔵のタンク1~2本分の収量になる予定です。これまでも能代の安井さんや大潟村の石山さんなど自然栽培米を作っている方からの仕入れで作っていましたが、今後は男鹿で作る自然栽培の酒米でもお酒を作れるようになります」
農地を広げていく必要はあるが、耕作放棄地や高齢で田んぼを手放す世代が増えている今、むしろ現状の農地を減らさないためにその受け皿になるというニーズがある。実際の農作業には醸造所の蔵人やシェフが一緒に入ったりしながら、安定した形を探っているところだ。同世代の人が少なかった男鹿に、仲間の若い人が増えてきているのが嬉しいという保坂さん。また、自分の手を動かしている場所から成果までの距離の近さも魅力だ。
「うちのお酒は自然栽培米を使っています、そしてお米はほとんど削っていません。作り手としてはすごくありがたいですね。お米を大切に扱ってくれて丁寧にお酒にしてくれるっていうのは恵まれている。シェフとタネ選びをして、一緒に農作業に入ったりもしますし。2時間前に収穫した野菜をすぐ調理してもらえるとか。生産者と消費者の距離がめちゃめちゃ近いですし、それはテーブルを通してお客さんに感じてもらえていると思います」
実際に、ディナーのメニューの中には保坂さんの野菜が多く使われて、シェフのサトウショウタさんも、畑から知っている野菜や米のことを細やかに説明をしながら提供してくれる。そんな恵まれた環境に感謝をしていると保坂さんは言う。
「自分の作ったコメの酒と野菜の料理が並ぶ時がいずれ来る、そんなこと実現できるところなんて日本国内を見てもそんなないでしょう。それを強みにしたいし、ここにある意味や色を押し出していきたいと思っています。それが魅力になってもっと人がきて、街が潤っていく。僕の仕事がそのパーツになるというのが稲とアガベで見たい風景ではあります」