宇宙ビジネス。「点」が「線」につながった瞬間
その答えが、日本がつくったモノの世界展開を支える弁護士になる、という目標だった。ロースクール卒業後の現地研修先に、グローバルに事業推進している重工業メーカーを選んだのもそのためだ。自ら履歴書を書き、人づてにニューヨーク本社での面談をとりつけた。現れたジェネラルカウンセルの日本人女性は、新谷が熱っぽく語るのを、終始にこやかな表情で聞いていた。そうして、こう言った。「わかりました。いつから来られますか?」
彼女はインターン生の新谷に対して、プラント関連の用語から契約書の立て付けまで極めて特殊な実務を一から教えてくれた。この出会いは小さな風穴を開けてくれたに留まらなかった。あるとき、新谷は彼女から運命的とも思える話を聞かされたのである。
「ねえ、新谷さん。アメリカでは当たり前の、宇宙ビジネスを専門に扱うSpace Lawyerが日本にはいないの。私たちもアメリカの弁護士に頼るしかないから、日本としてこうすべき、という視点の話をしづらい状況が続いているのよ」
「えっ! 宇宙……」と身を乗り出す新谷に、彼女はこう続けた。
「このままだと、国益が損なわれるレベルの課題なの。あなたが帰国する頃、日本でも宇宙活動法が制定されるから、その分野の弁護士が必要になると思う」
宇宙に興味があるとは少しも話していなかったのに、そんな事実を聞かされた。新谷の身体中をある思いが駆け巡った。
「スティーブ・ジョブスのあの名スピーチ、コネクティング・ドットとは、こういうことなんだ」
幼い頃の氷川丸での体験から始まり、これまで自分で選んできた一つ一つの異なる「点」が、スッと一本の「線」につながった。漠然とした憧れが、確信へと変わった瞬間だった。
自分は弁護士として、宇宙ビジネスに関わる道を行くんだ——。
宇宙港プロジェクトという近未来
帰国から約8年、日本においても宇宙ビジネス法務の整備が進んだ。省庁が主導する日本の宇宙開発に関わる会合で意見具申できる機会も少しずつ増えてきた。衛星データの利用や宇宙ゴミ問題の解決など、新谷が特にフォーカスしているテーマはいくつかある。その中のひとつに、「日本から宇宙に行ける、有人宇宙飛行ができる国へ」という未来ビジョンがある。米国のIT長者たちが競って民間の有人宇宙飛行ビジネスを進めていることはメディアでも頻繁に取り上げられ、2021年は宇宙旅行元年ともいわれている。
その先には、宇宙を経由しての2地点間移動がスタンダードになり、日本とニューヨークは30分でアクセスできる未来への見通しも語られている。そんないま日本が、世界の中で取り残された国であってはならない。50年後、100年後の子どもたちのために、いま何をすべきなのか。まずは世界中で開発が進むスペースプレーンが離発着できる場所の整備から始めたらいいのではないか。
こうして、志を同じくする仲間に自ら声をかけ、2018年に設立したのが〈スペースポートジャパン〉という社団法人である。いまでは、政府の成長戦略の中にも〈宇宙港〉という文言が載り、新谷は賛同してくれた民間事業者たちと共にプロジェクト推進に奮闘している。
その一方で、事務所として受ける依頼も着実に増えてきた。民間の宇宙ビジネスにおけるグローバルな交渉や最先端技術の実装化のサポートなど、ひとりではとても抱えきれない。各分野を専門とするパートナーやアソシエイトとチームを組み、そのメンバーは事務所内でも次々に増えている。