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2023.11.30

日々の研鑽がアントレプレナーとしての最大の幸せ──「変種変量短納期生産」で活路を見いだしたものづくり企業の挑戦

ベースとしてある東北人の「粘り強さ」、創業者の「進取・独創の気性」。それらを評する際、鬼柳一宏は「気合いと勢いですよ」と微笑し、温和な表情を浮かべる。そこに鬼柳ならではの「俊敏な賢明さ」が備わったとき、アイオー精密は第二の躍進期を迎えた。


岩手県花巻市のアイオー精密は、産業用ロボットの部品をはじめ、工場で製品をつくるための設備の一端を担っている。

「自動車製造、半導体製造、医療機器製造など、幅広い業種の工場で使われる産業用ロボット向けを中心に、精密金属部品の製造を行っています。世界中のものづくりの現場における自動化や効率化に貢献していると自負しています」

花巻市の自社工場を案内してくれたのは、代表取締役社長の鬼柳一宏だ。工場では、金属の切削、研削、熱処理、表面処理まで社内で一貫生産している。例えば、都内の小さな町工場のように、上記のなかの限られた工程を受けもち、町全体で一つの完成品をつくり上げる体制を敷いているところもある。

「私たちの強みは、社内一貫生産に加えて『変種変量短納期生産でオーダーメイドの金属部品に対応できる』ところにあります。お客様の求める仕様に合わせてカスタマイズした部品への対応に特化しながら、特急扱いであれば受注した部品を当日のうちに生産して出荷できる体制を敷いているのです」
アイオー精密のオーダーメイド製品

アイオー精密のオーダーメイド製品

最大のピンチを、最大のチャンスに

アイオー精密の創立は、1977年。受託型加工業としては国内随一とも言える多種多様な設備を駆使して社内一貫生産体制を築いたのは、創業者の鬼柳一宇だ。現社長、鬼柳一宏の父である。

「父は1962年に千葉工業大学の電気工学科を卒業し、鹿島建設でサラリーマン生活を過ごした後に、故郷の花巻に帰ってきてアイオー精密を立ち上げました。農作業小屋を借り、旋盤一つで事業を興したのです。69年生まれの私は、その農作業小屋を遊び場にしながら育ってきました」

創業者は理系の人間だが、商売っ気も負けん気も強かった。設備がなくても「何でもやります!」と言って仕事を受け、結果として自社の設備が増えていったという。創業者の負けん気は、柔道で鍛えられたものだ。その腕前は、7段。これまでに国際大会で8度も優勝している。海外遠征のその足で取引先への挨拶回りを行うなど、パワフルな営業スタイルで事業の成長を牽引してきた。

「設備が増えて、ある程度は自社で完結できるようになったところで、アイオー精密は大きな壁に直面しました。『量産品はコスト面で新興国に勝てない』という鉄の壁です。そこで、父は自分たちならではの技術基盤でしか生み出せない『高付加価値製品を必要なときに必要な量だけ届けるシステム』で勝負すると決断しました。昭和から平成に時代が移り変わるころの話です」

「大量生産」から「変種変量短納期生産」に切り替えたアイオー精密は、スタイルの大変換という苦難を経て、明るい道のりを歩んできた。90年代後期には、インターネットバブルと呼ばれるIT関連企業のバブル景気が発生したことも追い風となった。しかし、2000年にIT関連企業の株価は大幅に値を下げはじめて、翌年にバブルは完全に崩壊した。

「当時、世界中の増産計画に応えるかたちで、アイオー精密は設備や社員を大幅に増やすなど、大きな投資を行っていました。そこに訪れたのが、バブル崩壊による受注ストップです。私が社業に参画した01年は、まさにその最悪のタイミングでした」

農作業小屋を遊び場にしながら育った一宏少年は、明治大学政治経済学部を経て都市銀行に就職していた。約10年にわたって法人融資や事業再構築などの任務にあたり、未来を嘱望される中堅幹部になっていた。故郷に戻り、アイオー精密にジョインするとの決意を固めたのはITバブルの最盛期。かつての農作業小屋は、社員300人を抱える大工場になっていた。しかし、すぐに銀行を退くことはできない。引き継ぎなどの業務をようやく終えたときには、バブルが弾けていた。

「花巻に戻って最初に行ったのは、当時のアイオー精密には存在していなかった経営企画室の立ち上げでした。財務諸表などの数字をもとに、室長として考え得る改革はすべて着手しました。例えば、日次決算のシステムをつくって、仕入れや生産の金額、人件費といった数字から日ごとの利益を計算し、どこをどのようにコントロールしていけば利益につながっていくのかを考え、やるべきことをクリアにして、全社で共有するといったことです。当時、同規模の工場で、このようなシステムを取り入れていたところはなかったと思います」

人間には「最大のピンチと思えたものが、実は最大のチャンスだった」と、過ぎし日を振り返って有り難く思うことが幾度かある。アイオー精密が迎えた最大のピンチに際して帰郷した鬼柳は、その最大のピンチを最大のチャンスに変えることに成功した。
鬼柳一宏 アイオー精密 代表取締役社長

鬼柳一宏 アイオー精密 代表取締役社長

「改革が渦巻く工場」では、今日も新たな風が生まれる

今、アイオー精密には素晴らしい文化が根づいている。「数字を全社で共有する文化」に加えて、もう一つ。二代目の一宏がアイオー精密に取り入れ、定着させてきたのは「現場のデジタル技術と高度技能者の両極を生かす文化」だ。数字によって大きな方向性を示しながら、改革をドライブする現場力を最大化していく試みである。

「今、私たちは、『ハイブリッドものづくり戦略』と称する『デジタルものづくり』と『高度技能者育成』を最適融合させる取り組みを進めています。デジタルものづくりとは、デジタル技術を活用して情報とものづくりを連携させていく取り組みです。変種変量ゆえに頻発する段取り作業や技術者育成の難しさを克服するためにデジタルものづくりを積極的に推進しているのです。一方で、デジタル化などによる作業の簡略化によって高度技能者の育成が停滞することがないよう『匠塾』という社内加工スクールも設けています」

今、アイオー精密は企業体として成熟の域に入っている。そのために必要なスマートネス(俊敏な知性)を運んできたのが、二代目の鬼柳一宏だ。工場に集まった社員たち=東北人の真面目さ・粘り強さをベースにしながら、創業者が有する負けん気やチャレンジ魂に導かれて会社は成長を遂げてきた。現在は、二代目によって会社に根づいたスマートネスが起点になり、現場の課題解決能力が引き出されている。

「昨日よりも今日、今日よりも明日と、飽きることなく成長を遂げていくことの喜びと、その裏にある大変さ……。日々、これらを更新していけることが現在の私のアントレプレナーとしての最大の幸せです。これから先も社員のみんなと一緒に進化を遂げながら、毎日のように幸せを更新していく日々が続いていくのだと思います」

岩手県花巻市の工場で、そのひとつひとつのラインにおいて、日々繰り返されている革新そのものは、世界的に見れば『蝶の羽ばたき』のようなものかもしれない。しかし、それは知力や胆力や組織力など、あらゆる人間的努力の結晶である。アイオー精密の工場で生まれている革新の風が、やがて世界に大きな風を起こすと鬼柳は信じている。今日のスモールウインドが明日のトルネードになるのだ。

今、岩手県の「改革が渦巻く工場」で生まれた部品は、世界中の工場に届いてiPhoneなどのデジタルデバイスを生み出し、私たちのQOL(クオリティ・オブ・ライフ/人生の質)の向上に間違いなく貢献している。アイオー精密の風は、世界中の人々の生活に、人生にしっかりと吹き込んでいるのだ。


鬼柳一宏◎1969年、岩手県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、都市銀行に入行。約10年間の勤務を経て帰郷し、アイオー精密にジョイン。2017年5月、代表取締役社長に就任。趣味は、日本刀に魅せられて始めたという居合道。全国的に名の知れた盛岡の刀鍛冶につくってもらったという刀で心身を鍛え、京都などで開催される演武にも出場している。

アイオー精密
本社/岩手県花巻市東十二丁目17-1-1
URL/https://www.aio-precision.co.jp
従業員/558名(中国工場を除く)

Promoted by EY Japan | text by Kiyoto Kuniryo | photographs by Shuji Goto | ed-ited by Akio Takashiro

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