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2023.11.17 11:00

広島の牡蠣は海を越えて──「オヤジ」の手に導かれた2代目がつないだ恵み

水産加工会社「クニヒロ」の代表取締役会長・川﨑育造は2023年、大きな「飛躍」を迎えた。日本で初めてヨーロッパへ生食用牡蠣の輸出を可能にしたのだ。父から家業を受け継いで半世紀あまり。牡蠣の魅力を海への愛と共に広めてきた川﨑の原点にあるのは、「人への恩義」だ。


広島県尾道市。 クニヒロの本社がある地に着くと、最初に感じたのは濃厚な潮の薫りだった。本社の向かいには工場があり、そのすぐ後ろには瀬戸内海が拡がっている。

工場の主役は、広島県の特産品である「牡蠣」だ。そして、日本でも屈指の設備と細菌検査の体制に加え、効率よりも品質を第一と考えて、いいものを厳選する職人の真剣な眼差しがあった。

「広島県は年間で約2万トンもの牡蠣出荷量を誇り、全国の6割以上を占めています。その国内最多の出荷量の内、4分の1にあたる約5,000トンを取り扱っているのが当社です」

生牡蠣をはじめとする生鮮魚介類の卸しや加工、さらには冷凍食品およびチルド食品の製造販売を事業にしているのがクニヒロだ。

大量の牡蠣が入荷する水産第二工場

大量の牡蠣が入荷する水産第二工場

ふたりのオヤジの大恩がすべての土台

創業は1957年。現会長の父である川﨑國男が豊田郡安芸津町(現:東広島市安芸津町)で生牡蠣の販売を始めたことに端を発する。父の後を継いだ川﨑育造が言う。

「戦争に行っていた父は満州から帰ってきた後、結婚して八百屋を営んでいました。しかし、祖父が水産業に携わっていたことで自身も海産物を扱う仕事を始め、最終的には広島において500年前から養殖が行われていたという牡蠣の魅力にたどり着くことになったのです。生牡蠣の卸しがクニヒロの祖業となります」

大阪にある大学の理工学部を卒業した1972年、川﨑は自動車産業の扉を叩いた。その1年後、父から「帰ってこい」という連絡が入ったという。いずれは会社を継ぐという想いがあった川﨑は、その言葉に従った。

「まずは丁稚奉公に行くように言われました。築地の仲卸しで下働きをするようになったのです。当時、6人が同時に入社していたのですが、大学を出て社会を経験していたのは私だけでした。それで、『川﨑くん、社会経験がある君には特別に辛くあたりますからね』と仲卸しのオヤジさんから言われたのです」

その「特別な辛さ」は広島の実父と仲卸しのオヤジさんによる、ある種の契約だったのかもしれない。すべては、川﨑に「海の幸を取り扱うプロフェッショナル」としての基盤を与えるためだった。

「まず、住まいから違いましたね。私が住み込んだのは、バラック小屋です。ほかの人は普通のアパートでした。その小屋の1階には、水槽がありました」

川﨑は24時間、魚介類と生活を共にした。

「アフリカから届く冷凍の紋甲イカがあり、その氷塊を溶かして個体にしていく作業が大変でした。冬場には霜焼けがふくれあがってパンパンになります。そうすると時折、オヤジさんが私の手を上と下からサンドイッチして、ふうっーーと息を吹きかけてくれました。そして、『辛抱せい、辛抱せい』と言ってくれました」

そのときのオヤジさんの「手と息と言葉の温もり」の記憶を呼び起こすたびに、川﨑の目には今でも込み上げてくるものがある。 修業先での特別な辛さ、その裏にあった大きな優しさを、川﨑は決して忘れない。全国から大量に集まってくる魚介類。そのなかから、いいものだけを見分ける眼識。包丁をはじめとする道具と共に、そのいいものを間違いなく捌く手技。さらには、常に心を広くもち、共に働く仲間をいたわり、愛する性根。

川﨑は修行の日々において、「未見の我」に出合い続けた。そして、「海の幸を取り扱うプロフェッショナル」としての基盤を得て、広島に戻ったのである。

しかし、生まれ故郷に川﨑が安住する日々は、続かなかった。

「当時の父には『冷凍食品の事業を始めたい』という想いもありました。そのため、今度は冷凍の技術を学ぶべく、機械屋さんで一年間ほど丁稚奉公することになりました。冷凍の機械と仕組みについて勉強する日々が始まったのです」

これには理工学部で学び、自動車関連のメーカーで働いていた経験が非常に役に立った。川﨑は大学卒業後の3年間で、ふたりの偉大なるオヤジの大恩のもと、急速にして確かにクニヒロの二代目としての素養に磨きをかけていったのだ。

クニヒロ 代表取締役会長 川﨑育造

クニヒロ 代表取締役会長 川﨑育造

活路を切り開いたスーパーへの直販

クニヒロの冷凍工場が稼働したのは、1974年のことだ。ニッスイの協力工場として、カキフライのOEM生産を行うことが決まっていた。

「しかし、当初のオーダーである30トンは、一週間で製造が終わってしまう量でした。その一週間以外をどうするのかーー。今度は仕入れ・製造・営業・運送のすべてを任され、奔走する日々が始まりました。全国の漁港をまわり、季節の魚を仕入れるところからスタートしました。その粉骨砕身のなかで生き物を扱う事業の難しさをあらためて感じながら、私たちの社業の基礎的な部分を自分の体に染み込ませていくことになったのです」

あるとき、川﨑は牡蠣の取り扱えない期間の補填事業として始めたアサリの販売で大きな赤字を出してしまった。その際に父から言われたことを、今でもはっきりと覚えている。

「『すぐにアサリの事業はやめろ』と言われました。しかし、その後に続いて『もしも、続けるのであれば、お前がアサリになれ』とも言われました。『アサリになる』とは、いったいどういうことなのか。考えた私は、かつての修行時代のようにアサリの畜養プールの脇で生活することにしました。そうすると、不思議なことに段々とアサリの気持ちがわかるようになってきたのです。生半可なことでは事業は成功しない。そこに全身全霊をかけなければならない。そのことを父は伝えたかったのだと思います」

ここまでの流れは、創業者である父が考えていた軌道上にあるものだった。しかし、さまざまな知識と経験を積み上げ、自分なりに会社の未来について思慮を重ねてきた川﨑は、遂にこれまでの商習慣を守るべきとする父の考えの枠を大きく越えていく決断をした。

「クニヒロの祖業であり、最大の利益を上げてきた本業は『生牡蠣の販売』です。創業以来、全国に拡大していった得意先のすべては市場でした。しかし、昭和の高度経済成長期のなかで、スーパーの存在感の高まりを無視するわけにはいかなくなってきました。市場だけを相手にしていたのでは、いずれは立ち行かなくなると感じたのです。そこで、スーパーや生協に直接販売することを決意しました。当時の最大の得意先に対し、私は独断でタンカをきってしまったのです。以来、6年ほどをかけてすべての得意先を産直方式に変え、業績はV字回復していきました」

その成り行きにおいては、当然ながら、父との激しい議論があった。どちらにも信念があった。しかし、結果的には二代目の時流に応じた英断がクニヒロを救った。あのターニングポイントを経たからこそ、現在のクニヒロがある。

そして、広島の牡蠣が海を越えて世界へ


牡蠣の出荷で日本一の広島。その広島のなかでもいちばんのクニヒロ。そのクニヒロの牡蠣は2023年2月、はじめて欧州連合(EU)に「サンプル」として輸出された。そして、商品の良さが認められた23年7月、川﨑が学び、育ててきた技術によって冷凍された殻付き牡蠣4トンが、今度は「商品」として神戸港から輸出されたのである。

「この冷凍処理した牡蠣は、解凍後に生で食べることができます。生食用の牡蠣がEUに渡ったのは、日本の水産業史上でもはじめてのことです。欧州産の牡蠣よりも身が大ぶりで、味が濃厚な広島県産の牡蠣は現地でも高い評価を得ています」

牡蠣の販路を世界に拡大するのは、簡単なことではない。川﨑が手塩をかけてきた工場の施設は、EUに水産物を輸出するのに必要な衛生管理の国際基準「EU-HACCP(ハサップ)」の認証を受けた。農林水産省や県とも一丸となり、一大プロジェクトとして推し進めてきた成果が、EUへの日本初の生食用牡蠣の輸出であり、現地での高評価である。

「私たちは今、未到の地であるアメリカ市場も視野に入れています。広島の牡蠣の魅力を伝えるだけでなく、日本の豊かな食文化の価値を世界に伝えていきたいと考えています。1957年に創業したクニヒロが100年企業となり、日本の水産業や食文化のさらなる発展に寄与するために、私はこれまでにさまざまなかたちで下地を整えてきました。1990年に就いた代表取締役社長の地位は、2019年に娘に譲っています。私は、子どものころから海が大好きでした。同様に海が大好きだった父からのバトンを娘にわたすことはできましたが、まだまだ私にはやれること、やりたいことがたくさんあります。これほど幸せなことはありません」

真に澄み切った、初秋の美しい午後だった。穏やかに寄せては返す瀬戸内海からは、豊潤な生命の薫りが漂っていた。

川﨑 育造
1949年、広島県生まれ。72年、近畿大学理工学部を卒業後、岡山県の自動車関連メーカーに就職。73年、クニヒロの前身である國広水産に入社。90年に代表取締役社長、2019年に代表取締役会長に就任。さまざまな修行と英断、あきらめることを知らない行動でクニヒロを成長させてきた。絶滅寸前の尾道アサリの復活とブランド化にも奮闘するなど、「海」と「海の生き物」と「海がもたらす文化」に愛情を注ぐことについては誰にも負けない。

クニヒロ
本社/広島県尾道市東尾道15番13
URL/https://www.kunihiro-jp.com/
従業員/349名(2023.6.30現在)

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Promoted by EY Japan | text by Kiyoto Kuniryo | photographs by Shuji Goto | edited by Akio Takashiro