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2023.11.17

匠の技術で世界と戦う 経営危機から会社を蘇らせた諏訪の魂

長野県の南信地方に属する諏訪市。諏訪湖を湛え、諏訪大社を有する観光都市でありながら、精密機器産業の一大集積地としての顔も持つ。この地で創業したライト光機製作所は、2000年ごろ、業績不振のために経営危機に陥っていた。その状態からの脱却を図り、当時と比べて売上5.4倍、純利益19倍までに成長を遂げたのはなぜか。その知勇に迫る。


精密機器産業の一大集積地として「東洋のスイス」と称される長野県諏訪市。高原のきれいな空気と豊かな水資源という環境に加え、戦時中に大手精密機器メーカーが疎開してきたことに端を発し、カメラメーカーなどの工場が集まり、精密機器や光学機器を製造する、ものづくりの街として発展を遂げてきた。

職人の技で生み出す唯一無二の製品


この地に拠点を構えるライト光機製作所は、1956年に双眼鏡メーカーとして創業。当初は大手メーカーの部品加工を主に行なっていたが、アメリカでハンティングがレジャーとして広がりを見せていることを知り、ライフルスコープの開発製造を始め、現在は製品の約99%を欧米に輸出し、アメリカでのライフルスコープのマーケットシェアが20〜25%という企業にまで成長した。

ライト光機製作所が欧米から厚い信頼を得ているのは、一つ一つ丁寧に作り出される製品の高い光学性能にある。例えば、1本のライフルスコープを製造するには、十数枚のレンズを組み合わせ、その調整にはマイクロメートル単位の精密さが求められる。さらに、少なくとも80点、多いものでは150点にもなる部品一つ一つに完璧であることが要求され、その組み立てを手作業で行わなければならない。加えて、ライフルスコープは射撃時に1,000G近くの衝撃がかかり、それに何千発、何万発も耐えられる強度、耐久性が必要だ。ライト光機製作所の代表取締役社長である岩波雅富は語る。

「当社で製造する製品は工業品ではなく、工芸品だと思っています。設計から部品の製造、レンズの研磨などの加工技術、そして組み立てと、それぞれのエキスパートが五感をフルに使って、ほかでは真似できない高い性能を維持しているのです」

現在、ライト光機製作所が製品を供給している企業は欧米のトップブランドばかりだ。しかし、同社がその地位まで上り詰めるには、計り知れない苦労があった。

レジャーとしてのハンティングやスポーツシューティングなどで使われるライフルスコープ。100メートル以上先の標的に対し、着弾点をミリ単位で調整できる精度を実現するには、優れたレンズ設計と精緻な加工技術が求められる。

レジャーとしてのハンティングやスポーツシューティングなどで使われるライフルスコープ。100メートル以上先の標的に対し、着弾点をミリ単位で調整できる精度を実現するには、優れたレンズ設計と精緻な加工技術が求められる。

人材こそ宝。社員の力が会社を蘇らせる


「死のうとは思わなかったけど、死ぬかもしれないとは思った」

岩波雅富は、社長就任時の状況を振り返り、そう語る。彼がライト光機製作所に入社したのは1999年。その数カ月前に創業者である祖父が他界し、父が社長を務めていた。だが、祖父は身内を会社に入れないことを経営方針の一つとしていたため、社長を務める父にはライト光機製作所での経験がなかった。加えて、バブル崩壊後の円高から生産拠点を海外に移す動きが強くなり、2002年にアメリカで起きたITバブル崩壊の影響も受け、すでに落ち始めていた業績がさらに悪化。そうした状況のなか、当時いた社員の3分の1程度が会社を離れていってしまった。

岩波が社長に就任したのは、そんな苦境から抜け出せずにいた2006年。彼がまず取り組んだのは、優れた人材を確保することだったという。

「最も厳しかったのは、開発を担当する設計者の6人のうち、5人が辞めてしまったときです。設計者がいなければ、新たな製品を作ることができない。それで、外部からスカウトするなどして、設計者だけでなく、ほかの部門も任せられる人材を集めました」

具体的には、製造、設計、総務、営業という4つの部署をそれぞれ任せられる人材を確保しようと努めたのだ。社内から社外まで幅広く人材を求め、当たりをつけて、その部門を任せたいとお願いするも、当時30代だった岩波に対し首を縦に振らない者も少なくなかった。経営状態が思わしくなければ、社内の空気も澱みがちになる。古い体制に安住し、岩波が進める改革に表立って抵抗する社員もいたという。

「驚いたのは、お客様からの発注を受けながら、『うちではできない』と断って、競合他社を紹介するような社員がいたことです。そんな振る舞いをしていたら、業績が上がらないのは当然で、お客様も離れていってしまいます。だから、そうした『断り営業』は絶対にしないと固く心に誓いました」

業績が好転したのは、各部門を任せられる4人を選び、その4人が中心となって各部署を盛り立て、組織として自律自走し始めてからだった。そこに至るまで要した時間は約10年。その間は、浮き沈みを繰り返しつつ、なんとか現状維持するのがやっとだった。もう一つの大きな変化は、お客様からの難しい要望に対して、「できない」とあきらめて断りを入れるのではなく、可能な限り実現に向けてチャレンジするようになったことだ。もちろん、要望に応えるためには、相応の技術を伴っていなければならない。チャレンジは失敗に終わることもあったが、失敗を恐れずにチャレンジを繰り返すことで技術が高まり、やがてどんな要望にも応えられるような成長を遂げていく。

「ものづくりに失敗はつきものです。ただ、失敗を失敗のままで終わらせない。成功するまでチャレンジし続けることが何よりも大切だと考えています。それに、人材こそ、会社の財産です。その人材が成長するためなら、いくら失敗しても構いません」

今も、ライト光機製作所では、海外のトップメーカーから寄せられる高いレベルの要望に対し、果敢にチャレンジを続けている。その姿勢を失わない限り、技術の向上はとどまることなく、世界最高水準の光学技術を擁する企業としての地位は揺るぎないだろう。

ライト光機製作所 代表取締役社長 岩波 雅富

ライト光機製作所 代表取締役社長 岩波 雅富

諏訪の風土が育む「ものづくり」に欠かせない気質


現在、ライト光機製作所は、諏訪地方を中心に県内企業140社を「ともに発展・成長できるパートナー」と位置づけ、積極的に取引をしている。そこには、岩波の「地元である諏訪を盛り上げたい」という思いがある。

「諏訪市に限っても、2001年には250社の製造業者が存在していました。ところが、海外に製造拠点を移す企業が増えるなどして徐々に数を減らし、今では当時より100社近くも減っています。このままでは地域の発展が危ぶまれると感じ、将来も『ものづくりの街、諏訪』と誇れるように取り組みを行なっているのです」

岩波には、地元企業に対して、苦い思い出がある。業績不振だった2000年ごろ、ライト光機製作所は、支出を抑えんがため、仕入れる部品の値下げを取引先に要請したことがあった。しかし、結果としては、部品の品質が下がるばかりで、業績回復にはつながらなかった。それ以来、いかなる理由があろうとも、部品の仕入れ値を下げるよう、取引先に求めたことはない。すると、仕入れる部品の質が上がり、それが製品の性能を高め、やがて大きな利益をもたらすのだ。自社の利益だけを追いかけても儲からず、自社の利益をある程度犠牲にした方が最終的に儲かる。これは「言うは易く行うは難し」で、なかなかできない決断だろう。

諏訪が「ものづくりの街」として発展を続けるために欠かせないこと。その一つに諏訪で暮らす人たちの気質があると、岩波は言う。

「最近は昔に比べれば少し暖かいとはいえ、諏訪の冬は厳しい寒さに見舞われます。そんな土地で育ったからこそ、耐え忍ぶ力が養われ、どんなにつらいときでも歯を食いしばって困難に立ち向かうことができるのです。そして、諏訪には、諏訪大社の御柱祭があります。いざというときに力を合わせて大きなことを成し遂げる団結力もまた、諏訪の人々には受け継がれているのです」

長く重い御柱を引くとき、各々が別の方を向いてバラバラに力を入れても、御柱は一向に動かない。しかし、全員が同じ方を向き、一斉に力を入れれば、御柱はゆっくりと動き出し、徐々に勢いがついて、止まることなく、一気に突き進む。

ライト光機製作所が業績を回復するにあたっては、まさに御柱を引く精神が発揮されたのに違いない。会社の空気が澱んでいたときには、力を入れる人がいても、その力がバラバラでなかなか前に進むことができなかった。だが、岩波とリーダーたちを中心に、社員が一丸となって同じ目標に向かい、力を入れると、確かに前へと進み始めた。リーダーとして頼れる社員が8人に増えた今、その勢いはさらに加速するばかりだ。


岩波雅富
1994年、大学卒業後に、食品会社に就職する。その後、渡米し、MBAを取得。1999年、アメリカより帰国後、ライト光機製作所の東京営業所に勤務。貿易業務および営業を担当する。2003年には、本社に移動し、専務取締役として経営に参画。2006年、同社代表取締役社長に就任。

ライト光機製作所
本社/長野県諏訪市中洲3637番
URL/http://www.light-op.co.jp
従業員/400名(2023年10月末現在)

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Promoted by EY Japan | text by Kazuyuki Maeda(AGITO) | photographs by Munehiro Hoashi | edited by Ryuji Muratsugi(AGITO)

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